最近、ロシアでホットなテーマとして話題になっているのが軍事改革である。軍隊を縮小させようという動きに対して、愛国主義と国家主義の色の濃いマスメディアは大騒ぎし、「ロシア軍の壊滅」と叫ぶ声も上がっている。
特に現職のセルジュコフ国防相は激しい批判の対象となっている。セルジュコフはプーチン首相、メドベージェフ大統領と同じサンクトペテルブルク(旧レニングラード)の出身だ。ソビエト軍除隊後に家具店長を務めていたこともある。その後、連邦政府の税務に携わり、財務省連邦税務庁長官を経て国防省のトップに上り詰めた。彼に対してメディアは「家具屋の愚か者」「ロシア軍の破壊者」などと罵っている。
伝統的にロシア政府の中で軍人の地位は高い。ロシア皇帝だけではなく、共産主義の書記長はレーニンを除けばほとんどが元軍人だ。スターリンは大元帥で、18年間、書記長を務めたブレジネフは元帥だった。
反共革命後のロシアを見ると、大統領になったのは軍の総司令官である。ただし、プーチンは軍に在籍しておらず、KGBの中佐にとどまっていた。だがソ連時代であれば、今頃は軍の元帥にもなっていたことだろう。
かなり穏やかだった2000年の軍事ドクトリン
国が豊かで、軍隊が強い状態はロシアにとって理想だが、現実的には今までにそのような時期はない。帝政ロシアは国が貧しく、兵も弱かった。また、ソ連時代は兵は強いが、国は貧しかった。両方とも完璧である国は、世界でも少ないだろう。
ソ連崩壊後、新生ロシアは富国強兵を目指した。だが、エリツィン時代には「貧国弱兵」の状態だった。「兵」の強化はいつの時代も、国家予算にとって重荷であり続ける。
エリツィンの負の遺産を受け継いだプーチンは、連邦制強化、市場経済化、農地民有化などの改革と併せて、軍事改革を真剣に考えていた。そして、プーチン政権が誕生した2000年に、新しい「軍事ドクトリン」が採択された。軍事ドクトリンとは、国防政策の本質を定義し、国の安全を脅かす様々な脅威に対してその対応策を練り、国防方針を定めるものである。
2000年に採択した軍事ドクトリンは、当時、米国でブッシュ政権が生まれたばかりなので、かなり穏やかなものだった。
例えば、ロシアは専守防衛に徹する。軍の中央集権的な運営とシビリアンコントロールを組み合わせる。ロシアの安全を直接的に脅かす脅威については、存在を否定し、間接的、潜在的な脅威を明確にする。民主・法治国家を構築するという課題と連動して、国防政策を実行するといった内容である。
そのドクトリンの機軸は核兵器行使についての記述だった。ロシアと同盟国が侵略され、核兵器で攻撃されたり、通常兵器による大量攻撃を受けた場合は、ロシアが核兵器を行使する権利を有すると訴えていた。背景には、国の安全を保障するためには、核兵器の行使が一番効果的かつ安い手段であるという考えがあった。