日本文学者、作家の林望氏が「源氏物語」の現代語訳に挑んでいる。全54帖を「謹訳」という独自のスタイルで現代語に訳し、全10巻を2年かけて刊行していく。

 その第1巻となる『謹訳 源氏物語 一』がこの3月に刊行された。「桐壺」から「若紫」までの5帖にわたる話が収められている。

 林氏は、今まで「土佐日記」「枕草子」「平家物語」などの古典を読み解く作品を書き続けてきた。だが「常に念頭にあったのは、古典文学の本丸『源氏物語』、この鉄壁の巨城であった」という。日本文学の研究と作家生活の総決算とも言える仕事に、満を持してとりかかったというわけだ。

 源氏物語の現代語訳は、谷崎潤一郎与謝野晶子円地文子瀬戸内寂聴田辺聖子といった作家の手によるものがよく知られている。漫画の『あさきゆめみし』(大和和紀作)を読んで、初めて源氏物語の世界に触れた人も多いかもしれない。

 林氏の「源氏物語」は、そうした作品とどのように違うのだろうか。林氏ならではの現代語訳の方法と、源氏物語の文学的な特質、魅力について聞いた。

行間に書かれていることまで謹厳実直に訳した

── 「謹訳」という独自の現代語訳スタイルに挑戦していますが、どのような訳し方なのでしょうか。

林 望(はやし・のぞむ)
慶應義塾大学大学院博士課程修了。ケンブリッジ大学客員教授、東京藝術大学助教授等を歴任。専門は日本書誌学、国文学。主な著書に『イギリスはおいしい』『ケンブリッジ大学所蔵和漢古書総合目録』『林望のイギリス観察辞典』『節約の王道』など。エッセイ、小説のほか、歌曲の詩作、能評論等も手がける。

林望氏(以下、敬称略) 源氏物語は平安時代の宮廷の中で創られた物語です。だから、読んで理解するためには、宮廷の常識を知らなければなりません。

 しかし、その常識を現代の人たちは持っていないんですよね。ただ、古文を現代語に直訳して置き換えただけでは、結局よく分からないということになってしまう

 例えば、源氏物語には和歌がいっぱい出てきますが、原文にはただ歌が書いてあるだけなんです。だから現代の人が読むと、どういう状況で、どういう形で歌が伝えられたのかを誤解してしまう。

 当時は、文字で書いた歌をやりとりするというよりも、ほとんどの場合は声に出して相手に歌って聞かせていたんです。返す方も、歌って返していたんですよ。でも、今の人には分かりませんよね。現代語訳で「・・・と歌った」という風に書かないと、当時の人と同じ理解にならないというわけです。

 また、例えば今回このように現代語訳した部分があります。