中国4000年より深い「そば」の歴史9000年

旬到来!日本そばの進化は続く(前篇)

2011.11.18(Fri)漆原 次郎

 今も続く「そば屋」が開店したのも江戸時代だ。江戸の麻布永坂町では、江戸暮らしをしていた信州の行商人の清右衛門が1789(寛政元)年、「信州更科蕎麦処」なる看板を掲げた。「更科そば」は、ソバの実の中心のみを挽いた白い上品なもの。信州からの直売を売り物にし、江戸中で受けたという。

 一方、雑司ヶ谷鬼子母神門前や本郷団子坂では「藪そば」が誕生した。こちらはソバの実の甘皮の色を入れた薄緑色のそばだ。

 更科そばや藪そばを供すそば屋の誕生以来、大江戸中にそば屋は広がっていき、1860(万延元)年には江戸府内のそば屋は3763店を数えたという。

 そばにとってのもう1つの重要な変革も、この時期に起きる。それは、飢饉をしのぐ「救荒食としてのそば」から、縁起のよい「ハレの食品としてのそば」への転換である。

 晦日に食べる「晦日そば」や、大晦日に食べる「年越しそば」の習慣が庶民に定着したのは江戸時代中期と言われる。もともと、金銀細工師が、飛び散った金粉・銀粉を、そば粉を使って集めていたことから、縁起をかついで掛け金の回収前にそばを食べるようになったという。そのげんかつぎが晦日や大晦日にそばを食べるという習慣として広まったという説がある。

 また、引っ越しの挨拶に「そばに参りました」の意味を込めてそばを贈る習慣も江戸時代に起きたとされる。

 麺となったそばは江戸の人びとに愛され、縁起物になっていったのである。

そばの“激動期”は今も続く

 9000年以上前の遺跡からソバの花粉が見つかったということからすれば、ここ400年ほどの麺としてのそばの歩みは、まだ新しい出来事と取ることもできそうだ。麺としてのそばの歴史は始まったばかりと言ったら大げさだろうか。

 だが、その450年の麺としてのそばの歩みの中には、小麦粉の使用や、そば屋の誕生、そしてハレの食品への転換といった、日本人とそばの関わりを考える上での大きな出来事が立て続けに起きてきたのである。

 中華麺などに比べたら穏やかかもしれないが、“そばの激動期”は、現代になってもなお続いていると言える。1963(昭和38)年、日本の食品メーカーから「即席のそば」が産声を上げたのである。

(後篇へつづく)

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