東京湾岸エリアで、ブランド立地として成長著しい2つのエリアが存在します。1つは「新浦安」、もう1つは「豊洲」で、その共通点は東京湾の海を抱き、複数の大規模なショッピングセンターを商業施設として擁する、埋め立てエリアということです。
新浦安と豊洲、近くても全く趣の異なる街
「新浦安」に住まうミセスを “マリナーゼ”、「豊洲」に住まうミセスを “キャナリーゼ” とそれぞれ憧れ感を持って愛称されるのは、この2つのエリアがブランド立地である1つの大きな証しでもあります。
一見共通点が多そうな2つのエリアなのですが、実は住まいの形態や、そこに住まう人たちの意識が正反対とも言える全く異なる2つの性向を抱いていることは、これまで全く語られることはありませんでした。
まず、それぞれの立地開発の歴史から見ていくことにしてみましょう。
1964(昭和39)年に始まった、千葉県の埋め立て事業で生まれた広大な土地に、都市再生機構が複合機能都市を目指して開発を進めてきたのが「新浦安」です。
1983(昭和58)年に東京ディズニーランドがオープン、1988 (昭和63)年にJR京葉線が開通し、以後「新浦安」は、都心からわずか15キロメートル圏に位置し、東京駅まで京葉線で直通16分という抜群の利便性を基に、弛みない発展を続けてきました。
新浦安駅前には、駅前広場、ショッピングセンター、ホテルなどが一体開発され、街路樹や街並みまで景観的な配慮がなされています。
駅から海に向かってまっすぐ伸びる、片側3車線のシンボルロードには、パームツリーが植えられ、まるで街そのものがテーマパークのような雰囲気まで漂っているのです。
重工業、電力の町から一転ブランド立地に
一方、「豊洲」は、隅田川改良工事等により誕生した埋め立て地で、当初は工業地として発展しました。石川島播磨重工業(現IHI)などの工場や東京電力の新東京火力発電所をはじめ、工場と工場勤務者のための街でもあったのです。
そんなダンプの疾走する街が、東京都が「豊洲1~3丁目地区まちづくり方針」を策定し、再開発を本格化したことから、一気にブランド立地としての歩みを進めていきました。
2006(平成18)年、都内有数の大型商業施設「アーバンドック ららぽーと豊洲」がオープン。銀座まで有楽町線でわずか5分という抜群のアクセス性をはじめ、レインボーブリッジを臨む眺望等、「豊洲」というエリアが本来持っていた潜在力に火がつき、一気にブランド立地として駆け上がっていったのです。