日本でマンションという言葉が使われるようになってから、四十数年の月日が流れました。
今では、誰もが当たり前のように使うこのマンションという言葉。英和辞典を引けば、確かに「大邸宅」という意味がありますが、アメリカでもヨーロッパでも、日本で意味するような集合住宅をマンションと呼ぶことはあまりありません。むしろ、アパートメント(Apartment)というのが一般的に使われている呼び名です。
日本人にとっては贅沢な生活の象徴だった
一方、私たち日本人にとって長い間マンションという言葉は、贅沢な外観・内装と豪華な暮らしをかなえてくれる夢の住まいの象徴でした。
日本でのマンションの始まりは、1956(昭和31)年、東京都新宿区で、いわゆる民間デベロッパー(不動産開発業者)がマンションというカテゴリーで分譲販売し、入居を開始した「四谷コーポラス」だったと言われています。
地上5階建・総戸数28戸。その分譲価格は、3LDKで約230万円。当時のサラリーマンの平均年収が約24万円だった時代、その約10倍という販売価格で登場した「マンション」は、まだ住宅ローンというシステムも確立していなかった当時、まさに “都会に住むお金持ち” のシンボルであり、庶民には高嶺の花、夢の城だったのです。
ちなみに2007(平成19)年のサラリーマンの平均年収は約437万円で、その10倍というと、約4400万円のマンションをローンを組まずに現金で購入することになります。今、通常このクラスの価格のマンションを購入するためには、たとえ住宅ローンを使うとしても年収1000万円以上が必要と言われています。
年収とマンションの販売価格の関係は、今も昔もそれほど変わりないようですが、公庫や住宅ローンといった様々なマンション購入支援システムの発展もまた、マンション発展の一助となったことは言うまでもありません。
マンションが生まれる以前は、当時の住宅都市整備公団が様々なエリアで賃貸物件として供給していた集合住宅、いわゆる「団地」が庶民の夢を支えていました。
今でこそ「団地」というとあまりいいイメージは抱かれないかもしれませんが、当時住宅公団の「団地」に住まう人たちは、羨望の意味を込めて「団地族」と呼ばれていたのです。
大半の庶民が木造住宅、木造アパートで暮らし、銭湯に通っていた時代。6畳1間が、卓袱台(ちゃぶだい)を広げれば食堂に、押し入れから布団を出せば寝室にと早変わりするのが普通だった頃。ユニットバスとシャワー、洋式トイレ、さらにガスレンジのキッチンを完備し、しかもダイニングキッチン(DK)という発想により、「食寝分離」つまり食べる部屋と寝室を別々にするという、それまでの多くの日本人が初めて体験する新しいライフスタイルが提案されていたのです。
まさに夢に見た、洋風の暮らしでした。