今回は、マニフェスト選挙を構成する2番目の要件、公約の点検について考えてみよう。
マニフェスト検証の危うさ
21世紀臨調が主催して、自公政権に対する実績検証大会(8月2日)と、自民、民主両党の政権公約検証大会(8月9日)が催された。検証作業に従事したのは、経済同友会、連合、日本青年会議所、PHP総研、言論NPO、日本総研、構想日本、チーム・ポリシーウォッチ、全国知事会の9団体である。
前者の実績検証大会について、朝日新聞は「4年間で首相が3回交代し、自民党が前回のマニフェスト(政権公約)で掲げた政策を説明なく修正していることに批判が集中。『小泉改革』の後退だとして厳しい意見が相次いだ」と報じている。
読売新聞も「自公連立政権の実績評価は、前回衆院選での圧勝を受けた小泉内閣の構造改革路線が、その後の内閣で、なし崩し的に転換されたとする点に批判が集中した」と書いているから、マスメディアの報道ぶりはどこも似通ったものだ。
各団体はどんなことを指摘したのか、読売新聞(8月3日付朝刊)から引用しよう。
「構造改革路線からの継承・修正についての説明が十分なされず、政策の継続性に対する説明責任が十分に行われているとは言い難い」(日本総研)
「衆院選を経ずに首相が3回交代し、マニフェストの継続性を不明瞭にしたほか、民意の合意が不十分なまま、新たな方針や方向転換と思われる政策が出された」(PHP総研)
確かに、朝日、読売の記事が簡潔にまとめた通り、「説明なく修正」「なし崩し的に転換」したことが問題視されている。
だが、公約とは、絶対に変更してはいけないものなのだろうか。
小泉改革の負の部分、格差拡大の問題がクローズアップされるようになったのは、2005年衆院選の後、小泉内閣の末期になってからである。だから、後継の安倍晋三首相は「再チャレンジ」の機会を広げることを総裁選の公約に掲げ、路線の修正を図ったのである。それが問題なのだろうか。
公約を変更していけないなら経済危機はどう乗り切る
変更してはいけないというなら、それは格差問題に政府が取り組むのはいけない、ということになりはしないか。
経済状況が著しく悪化するようになったのは、リーマン・ショックに端を発した世界同時不況の影響が拡大した昨年秋以降である。2005年のマニフェストは、2011年までにプライマリー・バランスを黒字化させることを掲げ、そのために徹底した歳出削減に取り組むことを公約している。
もし、麻生政権が2005年のマニフェストで国民と「契約」したことだからと言って、緊縮財政路線をそのまま継続したら、日本経済は大変な状態になっただろう。それでも、公約とは変更してはいけないものなのか。そうではあるまい。そんな硬直的なものではないはずだ。
「公約は金科玉条のごとく守らなければいけない」という発想から連想するのは、消費税導入までの苦労である。大平正芳内閣が一般消費税を掲げ、直後の衆院選(1979年)で敗北した結果、それ以降の内閣は毎回、野党やマスメディアから「一般消費税を導入するのか、しないのか」を答えさせられた。まるで踏み絵である。
その結果、中曽根康弘内閣は売上税を導入しようとしても実現させることができなかった。直間比率の見直しなど、税制のあるべき姿という観点から、一般消費税や売上税について批判するならまだ分かる。だが、批判の枢要な部分は「導入しないと言っていたのに、公約を破った」という点だった。
マニフェスト検証にも、一般消費税の時に似た不健全さを感じるのは、筆者だけだろうか。
批判の力点は「説明なく」「なし崩し的に」変更したところにあり、変更自体はその適否で判断すればよい、と言うかもしれない。
だが、これも、現実には「小泉後」の歴代内閣はかなり説明しているように思う。首相が交代するたびに自民党総裁選が実施され、いずれも自身が取り組もうと考えている政策を掲げている。