人事に適材適所があるように、企業にも成長する「場所」があるのだろう。もともとは他県生まれの小さな企業が、本社を移したことを契機に急成長を遂げるケースがある。
〒910-3131
福井県福井市白方町45字砂浜割5-10
今から51年前の1957年、兵庫県で産声を上げた化学メーカーの田中化学研究所は、20年ほど前に福井県に工場を作り、本社を移転した。それ以降、小さな町工場は快進撃を始めた。
同社が作るのは二次電池の正極(プラス極)材料だ。二次電池とは、充電して繰り返し使える電池のこと。ニッケル水素電池やリチウムイオン電池などがそれに当たる。デジタルカメラ、携帯電話、ノートパソコンといった携帯電子機器になくてはならない電池だ。一方、乾電池など、充電ができない電池は一次電池と呼ばれる。
二次電池の正極材料には、「水酸化ニッケル」や「硝酸ニッケル」「水酸化コバルト」「酸化コバルト」といった無機化合物が使われる。田中化学研究所はそうした無機化合物を製造し、三洋電機やパナソニック、ソニー、韓国のサムスンSDIおよびLG化学など国内外の大手電池メーカーに納入している。世界シェアはリチウムイオン電池の正極材料で約30%、ニッケル水素電池の正極材料では約70%に達する。
誰も思いつかなかった新材料
田中化学研究所は、大阪の堺化学工業の研究者だった田中忠義氏が兵庫県尼崎市で創業した会社だ。忠義氏は田中保社長の父親である。芦屋市に工場を構え、電池材料、触媒用化合物、金属表面処理材料など無機化学製品の開発、製造を手がけていた。事業規模はごく小さなものだった。田中社長は「20人ほどで細々と営む会社だった」と振り返る。
ところが80年代半ば、ある製品の開発が同社に大きな転機をもたらす。
当時、ソニーが家庭用小型ビデオカメラの開発を進めており、小型、かつ高性能な電池を必要としていた。ビデオカメラ向けの電池を開発していた松下電池工業(現パナソニック株式会社エナジー社)が、田中化学研究所にある依頼をしてきた。松下電池工業とは70年代以来、ずっと電池の高機能化に向けて共同研究をする間柄だった。依頼の内容は、次のようなものだった。
「電池の中に材料をたくさん詰め込んで、電池の性能を高くしたい。もっと効率よく詰められる材料を開発できないか」──。
開発に当たったのは、新材料の研究開発を担当していた若き田中社長だ。田中社長は、「それまで誰も考えつかなかった」という画期的な新材料を開発し、松下電池工業の依頼に応えた。
その新材料とは「球状水酸化ニッケル」。従来はかけら状だった水酸化ニッケルの粒子の形状を、球状にした製品である。粒子を球状にすることで、一定容積に詰め込んだ場合、隙間が少なくなる。つまり、電池の中により多くの水酸化ニッケルを詰め込めるようになるというわけだ。