驚き「Aha!」のある授業
前回稿「AIを使って割り算から楽しく学ぶ小学算数:『非認知能力』育成の数理教育」でもSTREAMMの実際をご紹介しました。
こうしたカリキュラムをお目にかけると、「情操教育はいいんですが、やはり受験も現実なので・・・」的なリアクションをいただくことがあります。
しかし、そこには大きな間違いがあります。
STREAMMの特徴は、受験問題で出題されるようなペーパーテストにも威力を発揮し、かつ、子供の創造的な能力をフルに引き出すように作られている点にあります。
日本では、東京大学発の教育システムとしてモニター校を筆頭にすでに大いに活用してもらっています。
なぜ「受験」に使え、かつ「創造的な能力」も引き出せるのでしょうか?
もちろん科学的な根拠を示すこともできます。しかし、ここで一番分かりやすいのは、私たち入試の出題者側がフルにコミットして教程を作っているから、という背景にあります。
入試問題というのは、受験生を困らせてやろうと思って作るわけではありません。
大学として、こういう人に入ってきてほしいと考えて、出題者は腕によりをかけて問題を考え、最初の読者たる同僚たちに「いいね」と思ってもらえるような「良い出題」を工夫して創り上げていくものです。
私は、自分自身が大学などで出題するパターンと、自分が本や原稿として書いた文章がほかの大学や「国家公務員試験」まで、自分以外の出題者が「問題化」するのに長年付き合っています。
そのため、このあたりには一般の方とはちょっと違った感想をもっているのだと思います。
この観点から申し上げるなら、「国民全体の知の喫水線を上げる」ことが重要で、その意味では東京大学は十分な役割を果たしてこなかったと思うのです。
明治10(1877)年の建学以来、東京大学は日本のトップエリート、選良を育てる機関として設置され、機能してきたはずでした。
しかし極めて残念なことに、昨今報道される不祥事の数々は、東京大学が張子の虎に堕している懸念を、広く社会に抱かせています。
私たちは、「相対評価」で上の順位に位置する学生を「選び取る」教育という考え方を本質的に疑問視しています。
そんな「相対優位」ではない、国民全体のボリュームゾーンに働きかけ「絶対評価」で子供の実力を伸ばす「本格教育」こそが求められている。
子供たちの「学力低下」が指摘されて久しいですが、全体が地すべり的に低下した学力の中で「相対上位」の子供だけを選び取ろうとしても、我が国の教育全体の地盤沈下は防ぎようがありません。
こうしたポイントは2004年、今から22年も前になりますが、アンカーライターとして「第3期科学技術基本計画」策定の末席に加わった折から指摘し続けています。
しかしこの20年、歯止めは効かなかったように思います。
いま「生成AI」導入という「次のチャンス」にあたって、できることをやってみよう、ということで内外・産官学の知恵を集めて取り組みを進めているわけです。
子供たちは、自分が適当に作った日本語のテキスト、さらにはそれが未知の言語に翻訳された結果が「画像」イメージとして目の前に現れると、かなりの確率でびっくりします。
この「サプライズ」が最も重要なのです。
加えてその驚きの先に「納得(Aha)!」する体験があると、容易には忘れがたい記憶として、その子の心の深い部分に働きかけます。
それをある人は「非認知能力」と呼び、別の人は「社会的情動スキル」と呼ぶこともあるわけですが、その本質は心が動くことにあります。
「毎回、毎時間の授業に感動を!」などと言うとびっくりされるかもしれません。
しかし私たち音楽家は、どんな小さなステージでも、毎回必ず聴き手の心に深く残るものを必ず一つは残すように考えてプログラムを組みます。
「感動なくして授業なし」はかつて全国的に知られた故・斎藤喜博氏の授業論でした。
この授業論には、批判や文句を言う人がいましたが、私には欧州の盲目的模倣を良しとする、ピントが外れたというか次元の違う批判にしか見えませんでした。
そんな批判などどうでもいいんです。子供たちが全身全霊で感じ考えながら、世界を身体化、血肉化していくこと。
そのようなプロセスを、ことによると子供たちにとってシラケ切ってしまったかもしれない教育の場に一つひとつ呼び戻していくこと。そういった本質が、いま問われているのだと考えます。




