だが結果は86.50点で7位。4大会連続のメダルも、冬季五輪で日本勢2人目となる2大会連続金メダルも届かなかった。ただ、だからといって、この決勝が「敗戦」だったかと問われればそうではない。堂々と誇れる大健闘の7位入賞だった。

不可解な採点、それでも最後まで攻め続けた平野

 誰もが目を疑ったのは、点数ではなく大舞台に立った平野選手のコンディションだった。

 五輪前最後の実戦となった1月17日(同18日)にスイスのラークスで行われたW杯第5戦決勝で約7メートルの高さから落下し、板が折れるほどの激しい転倒。鼻と口付近から大きく出血し、骨盤の右腸骨などを2カ所骨折――。

 日常生活も困難な状況に追い込まれるほどの重傷だった。並の人間ならば、その時点で五輪は終わる。欠場しても、誰も責められない。

 それでも超人的な回復力で平野選手は立った。予選を7位で通過し、決勝へ進んだ。予選後、本人は「この場に立てたことが奇跡的」「すごくギリギリな状態だった」と語りながら、「悔いなく、やるべきことをやるだけ」と、言い訳を封じた。ここに、前回王者の意地がある。

 決勝は、苦いスタートだった。1回目は転倒。だが、2回目の試技で会場の空気を一変させる。

 冒頭のエアでスイッチバックダブルコーク1260を決め、続けてキャブダブルコーク1440。さらに、1回目で失敗していたフロントサイドダブルコーク1620も成功させ、ダブルコーク1260をつなぎ、最後はフロントサイドトリプルコーク1440で締めくくった。骨折を抱えていたとは、とても思えない完成度だった。

 ところが、得点は伸び切らず86.50点。会場からはため息が漏れ、平野選手自身も顔をしかめた。

男子ハーフパイプ決勝2回目を終えた平野歩夢=リビーニョ(写真:共同通信社)

 そして3回目。平野は守りに入らなかった。骨折の原因ともなった難度の高い大技(ダブルコーク1260クリップラージャパングラブ)を敢行し、着地し切れず転倒。それでも最後まで攻めの姿勢を崩さない。表情を変えず、ボードを掲げて歓声に応えた。

 その立ち居振る舞いが、いまの五輪で失われかけたもの――。競技者の矜持を思い出させる。

 競技終了後、平野選手は言った。

「本当に生きるか、死ぬか、そういう覚悟をもって挑んだ」

「納得した結果には繋がらなかったですけど、今自分ができることは出し切れた」

 そして「生きててよかった」と、安堵の笑顔を浮かべた。