被害者から見た加害者の「更生」と「償い」
──BやDについては、母親との関係が良好とは言い難い状態であったという点にも言及しています。加害者家族に対する支援の必要性についてはどのように考えていますか。
山﨑:少年事件に関わる弁護士や更生関係者の多くが、非行の要因の一つとして親子関係の破綻を挙げています。加害者が少年院や刑務所にいる間に、放っておいても親子関係が良好になるはずはありません。親子関係は破綻したままの状態で出所・出院すれば、再犯に手を染める可能性があります。
少年院には、親子関係の改善を目的とした面会指導・家族参加プログラムがあります。再犯防止において、親子関係が重要だと考えられているからです。出院時の身元引受人も、親であることがほとんどです。
一方で、刑務所ではそのような仕組みがありません。(満期出所の場合)何のケアもないまま社会に放り出されるようなかたちになります。有罪判決を受けた少年事件の加害者が社会に出る以上、親をはじめとする家族への働きかけも不可欠です。加害者家族のケアはまだまだ道半ばというところだと感じています。
──「(加害者の)更生というのは、被害者側から見て『ああこの子は本当に更生したんだな』と本当にそう思えたときにはじめて更生したとみなされると思うんです」という少年事件の被害者家族の言葉が印象的でした。山﨑さんは、少年事件の「更生」をどう捉えていますか。
山﨑:その言葉は、更生の一つのあり方だと思います。
私は「更生」と「償い」は別だと考えています。例えば、事件を起こした少年が、少年院や刑務所を出た後、真面目に働き、家庭を持ち、安定した生活を送っているとします。一方、被害者側は事件によって一家の大黒柱を失い、経済的にも精神的にも困難な状況に置かれたままで、十分な謝罪や賠償がなされていないというケースは少なくありません。
司法の観点では、「再犯していない」「就労している」「納税している」という事実をもって「更生した」と評価されるでしょう。けれども、それが被害者に対する「償い」になっているかと言えば、決してそうとは言えません。
社会に出て、働き、再犯をしなければ「更生」と言えるかもしれません。ただ、被害者の立場から見て、それが本当に更生なのか、償いなのかという問いは、また別に存在していると思います。
被害者やその家族によっても、「更生」「償い」に関する考え方には、大きなグラデーションがあります。顔も見たくない、名前も聞きたくない、極刑を望むという方もいれば、加害者が本当に更生する姿を見たい、心から謝罪してほしいと願う方もいます。
だからこそ、私たちのような部外者が「更生」や「償い」を一律に定義はできません。大切なのは、加害者自身が何をもって更生と考えるのか、何をすれば償いになるのかを考え続け、その問いを抱えながら生きていくことだと思います。その過程が再犯を防ぎ、被害者を忘れずに生きることにつながるのではないでしょうか。