坂本龍馬(写真:国立国会図書館所蔵画像/共同通信イメージズ)
幕末の乱世を新解釈で描く――。そんなエンターテインメント映画『新解釈・幕末伝』が2025年12月19日より公開されている。福田雄一監督のもと、佐藤二朗が西郷隆盛を演じるほか、ムロツヨシが坂本龍馬を演じている。龍馬といえば、土佐藩を脱藩し「日本を今一度、洗濯いたし申し候」の名言通りに、幕末の世を縦横無尽に駆け回り、倒幕というスケールの大きな夢にひた走った……と思われがちだ。ところが、偉人研究家の真山知幸氏は「自由人というイメージが強い龍馬ですが、実家からのプレッシャーに悩まされていた」と話す。『偉人 大久保利通:「正解なき時代」のリアリスト』(草思社)を上梓した真山氏に、坂本龍馬の素顔について解説してもらった。(JBpress編集部)
裕福な「下級武士」、豪商・才谷屋に生まれた龍馬
1836(天保6)年、坂本龍馬は土佐高知城下の坂本八平の次男として生まれた。
土佐藩には厳しい身分制度があり、同じ武士でも家老、中老、馬廻組、小姓組、留守居組などの「上士」と、郷士、用人、徒士、足軽、小者などの「下士」の2つに分けられていた。
坂本家は郷士だったため、龍馬も下士に属していたことになる。そのことから、龍馬が苦労人だったという誤解があるようだ。だが、実際の坂本家は、下士のなかでもかなり裕福で恵まれていた。
坂本家の祖先にあたる太郎五郎は、戦国時代に明智光秀の居城である坂本城の落城に伴い、近江から土佐へ逃れて農業を営んでいた。
4代目の八兵衛守之が「才谷屋」の屋号で質屋を開業。繁盛して豪商となると、6代目の八郎兵衛直益は「郷士株」を購入し、武士の身分を手に入れた。
分家して新規郷士となったのが、7代目の兼助直躬(直海)で、郷士坂本家の初代にあたる。ちなみに、龍馬の父・八平は郷士坂本家の3代目である。
