私が物心ついて韓国文化を摂取していった25年間は、ちょうど韓国文化が日本に定着していった過程と重なります。なので、今の大学生が何の偏見もなく韓国のコスメを使い、K-POPを聴き、韓国旅行に行く姿を見ると、隔世の感を感じます。
韓国文化が2000年代に定着していく前にも、実は1980年代に「韓国ブーム」がありました。1984年にNHKで「ハングル講座」の番組が始まり、翌年に青年誌の「平凡パンチ」が「カッコいい韓国」の特集を組み、1987年にはチョー・ヨンピルがNHK紅白歌合戦に出場しました。1980年代半ばから、韓国という国や文化への関心が高まった時期があったのです。
韓国が1987年に民主化し、グローバル化の波が押し寄せる中で、日韓の文化交流は飛躍的に増加しました。小渕恵三首相と金大中大統領が「日韓パートナーシップ宣言」(1998年)に署名したことも大きかった。日韓の距離は急速に縮まりました。
その一方で、日韓の政府は歴史認識問題に揺れ続けました。慰安婦や徴用工問題などをめぐり、国際舞台でお互いを非難し合うこともあった。文化交流の増大と政治的緊張の高まりが同時に起こったのです。
政府間関係の緊張は、日韓の狭間で生きる私のような在日コリアンには大きく影響します。李明博大統領の竹島上陸(2012年)があったころ、「韓国は嫌いだ」と面と向かって言われたこともありますし、ヘイトスピーチのデモに出くわしたこともありました。日本で生きづらく感じた時期もあったのですが、幸いなことに、私にはたくさんの日本人の信頼できる友人がおり、彼ら彼女らに支えられて生きてきました。
実は、在日コリアンと「韓流ブーム」というのは、意外と組み合わせが悪いものです。というのも、「韓流ブーム」で喝采を浴びているのは「本国・韓国生まれ育ちの韓国人スター」であり、「日本で生まれ育った韓国人」というある意味で「中途半端」な存在である在日コリアンとは、近いようで遠いのです。高校生の頃、「(本国の)韓国人男性と付き合いたい」と私に言ってきた同級生がおり、とても複雑な気持ちになったことを覚えています。