2024年12月3日、秩父夜祭で、御旅所に到着した山車と打ち上げられた花火 写真/共同通信社
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(吉田さらさ・ライター)

日本三大曳山祭りのひとつ

 早いもので、今年もまた年末がやってきた。毎年この季節になると思い出すのは12月2日、3日に開催される秩父夜祭である。ユネスコの無形文化財に指定され、京都の祇園祭、飛騨高山の高山祭と並ぶ日本三大曳山祭りのひとつとも称される。

「日本三大〇〇」と呼ばれるものの三番目は、時に「えっ、ほんと?」と思う場合もあるが、この秩父夜祭だけは、間違いなく、他の二つの祭にひけを取らない。実はわたしもある時までは、埼玉県の山奥にそんな立派な祭があるのかと疑っていたのが、何年か前、実際に行ってみて驚いた。あの華々しさと躍動感は、祇園祭とも高山祭とも違う独自の魅力を持っている。

 この祭は知知夫国(ちちぶのくに)一之宮の秩父神社の例大祭である。祭の内容についての詳しい話はまたあとでするとして、まずは、この神社自体の話から始めよう。秩父市の中心部にあり、東京方面から西武線で比較的簡単に行けるが、実はこちらは、関東でも屈指の由緒深い神社なのである。

 創建は崇神天皇の御代。この人物は実在した可能性がある最初の天皇とも言われ(記紀に記述のあるそれ以前の天皇は実在が定かではないとされる)、もしも実在したとすれば3世紀後半~4世紀前半に在位したと考えられる。その時代に初代の知知夫国造である知知夫彦命が、祖先神に当たる八意思兼命(ヤゴコロオモイカネノミコト)を祀ったのがはじまりだ。八意思兼命と言えば、アマテラスオオミカミの岩戸隠れの際、皆の意見をまとめ、どのようにして出てきていただくかの作戦を練った知恵の神として知られる。 

 祭神はその八意思兼命と知知夫彦命。天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)、秩父宮雍仁親王。天之御中主神は鎌倉時代に合祀されたもので、秩父宮(昭和天皇の弟君)はご薨去の年である昭和28年に合祀された。「秩父宮」の宮号は、秩父嶺が帝都所在の武蔵国の名山であり、雍仁親王の御住居の西北に位置したことにちなんで選定されたという。

 境内はそれほど広くはないが、見どころがたっぷりだ。大鳥居をくぐったらまず、細部まで精巧に彫られた手水舎の彫刻に注目しよう。豊富に流れ落ちる手水は武甲山の伏流水。実はこの武甲山は秩父神社の神奈備山なのだ。神奈備とは神霊が宿る依り代のことで、つまりはご神体と言ってもよいのだが、セメント製造に使う石灰石を採掘するために山容は大きく変わり、山頂付近にあった古い祭祀跡などは失われてしまった。