高市首相に失望の声も…かつての立場は?
高市首相はこの11月7日に開かれた衆院予算委員会で、長妻昭議員(立憲民主党)から歴史認識を問われ、「これまでの内閣総理大臣談話を含めて、歴史認識に関する歴代内閣の立場を全体として引き継いでおり、これからも引き継いでいく」と答弁しました。高市内閣は現在だけでなく、今後も村山談話の内容を継承するとの姿勢を明確に打ち出したのです。
この国会答弁が報じられると、SNSでは「高市さんに失望した」といった声も一時噴出しました。なぜなら、高市氏はこれまで、村山談話を強く批判してきた経緯があるからです。
例えば、高市氏は衆院議員1期目の1994年10月(当時の所属は「自由党」)、衆院予算委員会で質問に立ち、村山談話の発出前でありながら同趣旨の発言を繰り返していた村山首相に対し、「(過去の戦争について)具体的にはどの行為を指して侵略行為と考えているのか」「50年前の当時の指導者がしたことを『過ち』と断定して謝る権利が、50年後にこの国を預かっている村山首相にあるとお考えか」などと迫りました。
その後、高市氏は1996年の衆院選で新進党から出馬し、当選。その2カ月後、選挙戦を戦ったライバルの自民党に入党すると、安倍晋三氏が事務局長を務めていた「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」に参加し、村山談話に盛り込まれた歴史認識に疑義を唱える活動を続けました。
こうしたなか、高市氏は月刊誌『WILL』2010年7月号で作家の渡部昇一氏と対談し、自身が首相になれば新たな歴史見解を発表して村山談話を無効にする考えを表明します。対談では、過去には戦争が続いた不幸な時代があったとしたうえで、日本も侵略ではなく、「自存自衛のために戦争を行った」と語っています。
さらに、安倍政権下で自民党の政調会長となっていた2013年5月12日にも同じ考えを示します。最初はNHKの『日曜討論』に出演し、村山談話にある「国策を誤り」の部分に言及。「当時、資源封鎖された中で抵抗せずに日本が植民地となる道を選ぶのがベストだったのか」「ちょっとおかしい」と発言しました。
その後も訪問先の福井県で、村山談話について「侵略という文言を入れているのは、私自身しっくりきていない。自存自衛のために決然と立って戦うというのが当時の解釈だった」と強く疑義を示します。当時の菅義偉官房長官から発言には注意するよう促されても「個人的な考えは変わらない」と述べ、それを突っぱねました。
高市氏は首相就任後、そうした過去の発言を封印したことになります。