2013年、星野仙一監督率いる楽天イーグルスは、悲願の日本一に輝いた。写真:共同通信
クライマックス・シリーズも佳境。セ・リーグは阪神タイガースが日本シリーズ進出を決め、パ・リーグはソフトバンクホークスが王手をかけている。
その一方で、このシリーズに入る前、多くの選手たちが戦力外通告を受け、人生の転機に直面している。
厳しいプロの世界。そこではどんなことが起きているのか。選手はどうやって自身を成長させていくのか。
現役通算37安打。全く結果を出せず、戦力外通告を受けるも39歳という若さで監督になるなど、指導者としてその才能を見出されたのは元楽天監督の平石洋介だ。
その平石洋介が綴った初めての書籍『人に学び、人に生かす。』が評判を呼ぶ。厳しい世界で生き抜き、自身の価値を見出すとき何が必要なのか。出会いにあったきっかけを紹介する。
星野仙一という「衝撃の人」
僕の人生は野球とともにある。
小さな頃からの夢だったプロ野球選手になり、引退後は指導者としてグラウンドに立たせてもらった。大好きなことを今に至るまで続けることができているのは、この上ない幸せだ。その「幸せの土台」は、野球がうまくなりたい、もっと上を目指したいと思う中で出会った多くの人たちによって築いてもらったものだ。
家族はもちろんのこと、気が合う仲間、切磋琢磨したライバル、怖かった指導者、優しかった監督、そして、どうしても好きになれなかった人まで、僕の野球人生にさまざまな形でかかわってくれたすべての出会いによって僕は今までやってこれた。
興味深いのは、「野球人生の中で人から学んだ」ことは、野球のみならず、個人、平石洋介という人間の成長をも促してくれるものだった、ということだ。
ここからは、僕の野球人生を振り返りながら、そこで得た学びについて記していく。
最初の学びは「見えているものだけを信じてはいけない」。
僕が生きてきた中でも、最も大きなインパクトを残す「東日本大震災」は、プロ7年目、歳を迎える年に起きた。現役選手としては中堅と言える頃。自分が見えているもの、考えていることが徐々に固まっていく時期でもある。
そんなとき、僕の上司――つまり監督だったのが故・星野仙一さん。
指導者としての道を作ってくれた恩師とも言える星野さんからの学びは数え切れないが、中でも強烈だったのが「監督としての覚悟」だった。
「宮城県で大きな地震があったらしい」
人の想いとは、他人が簡単に理解できるほど単純ではない。
表向きは優しく、あるいは厳しく振る舞っているようでも、本心では真逆の感情を抱えていることもある。
人に対して、真っ直ぐに、腹を割って向き合うことが大事とされるのは、そうした「見えるもの」だけではわからないことがたくさんあるからだと思っている。
2011年3月11日。東日本大震災が発生した。
当時、東北楽天ゴールデンイーグルスの選手だった僕は、兵庫県の明石球場(現・明石トーカロ球場)で千葉ロッテマリーンズと一軍のオープン戦を戦っていた。
プロ7年目、レギュラーはおろか一軍に定着できていない僕にとって勝負となるシーズン。その開幕まで、あと2週間……。
7回表が終わる頃だったはずだ。球団スタッフが慌てた様子で言った。
「宮城県で大きな地震があったらしい」
それほど深刻に受け止めたわけではなかった。
けれど、8回表が終了した時点で試合が打ち切られ、「とにかく身内の安否確認を急いでくれ」と慌ただしく出された号令に事態の深刻さを予感した。
そして、ホテルへ戻るバスのテレビに映された現地の光景に僕は絶句した。
心底、体が震えた。
遠征のたびに利用している仙台空港が、大袈裟ではなく水没している。宮城県以外の沿岸部でも、よく知った地域が津波によって飲み込まれていた。現実味のない、映画のワンシーンのような映像に、ただ息を呑んだ。「ワンシーン」であってほしかった。


