三重県を走る三岐鉄道北勢線はかつて近鉄の路線で、近鉄の廃止方針後に三岐鉄道に引き継がれた。土地だけは沿線自治体の所有、線路や駅など鉄道施設は三岐鉄道が所有する、変則的な上下分離となっている(筆者撮影、以下同じ)
(柴山 多佳児:ウィーン工科大学交通研究所 上席研究員)
競争の土台がまったく異なるバスと鉄道
子どもの頃、中央自動車道を走る高速バスとJR中央線の特急列車が、利用客獲得の「競争」をしているという話を読んで、素朴に不思議に思ったことがある。
高速道路料金は、バス会社だけでなく、一般の乗用車の利用者も支払っているし、トラックや観光バスだって支払っている。その収入が、建設費や維持管理費に使われている。かたや鉄道はというと、乗客が支払ったきっぷからの収入と、貨物列車の収入で、建設費や維持管理費を賄わないといけない。
「競争」しているというのに、お金の「出て行き方」の土台の条件がまったく違う。これではまったく競争になんかなっていないではないか。これが、筆者が子供の頃に感じた素朴な疑問である。
そう感じたのは、おそらく、「スーパーあずさ」のような新型車両が登場した頃だったように思う。本稿を書くにあたって簡単に調べてみたが、中央自動車道の高速バスが松本まで運行されるようになったのが1989年、「スーパーあずさ」が新型車両とともに登場したのが1994年だそうである。
筆者が撮影したデジタル写真で最も古く残っている「あずさ」の写真を見つけた。2000年1月6日に新宿駅で撮影したもので、1996年発売の富士フイルム製35万画素デジタルカメラ「クリップイットDS-7」で撮ったから画質がすこぶる悪い。
さて、前回は「箸休め」として世界最大規模の公共交通の国際会議・見本市であるUITPサミットの様子を紹介した。その前は運営の財源の話を3回に分けて書いていたのだが、今度はインフラの財源について制度的な観点から考えたい。
この子供時代の筆者の「疑問」は、今に続くインフラストラクチャー、特に車両や、鉄道の線路や信号施設といった設備への投資や更新の財源につながる問題である。「箸休め」前までは、公共交通の運営という観点から「横ぐしの財源」について考えてきたが、今回は道路や線路などのインフラストラクチャーについて掘り下げて考えてみよう。
話がわかりやすいバスから始めよう。
バスは、一般道や高速道路の上を走る。当然だが、他の乗用車やトラックなどと共有するインフラだ。信号も道路の信号に従って走るから、同じように他の自動車と共用だし、橋やトンネルも同様だ。
バス停も道路の上に置かれることが一般的で、道路占用許可を取得して設置するのが基本であるが、自治体など道路管理者が設置することもそれなりにある。バス会社が用意する主なものは車両と人員、それに車庫や維持管理のための設備、くわえて乗務員の待機や運行管理をするための設備、そしてバスの車両そのものだ。
バス専用道路を使う例やBRTなど、自前のインフラを持つ特殊なケースもないことはないが、基本的に、バスが走るための大前提となるインフラは道路であり、建設はもちろん、維持管理もが、公的な財源から賄われている。
こうした公共財に対するバス会社の費用負担は、自動車重量税や軽油取引税など、一般の乗用車と同様の枠組みである車両や燃料に対する税や、法人税のような企業活動に対する課税を通して行われることになる。
鉄道はどうだろうか。
一般に、鉄道線路や駅、それに車両基地は鉄道会社の持つ資産である。ということは、もちろん、橋やトンネル、さらに踏切など鉄道に欠かせないインフラもそうである。
さらに、鉄道の安全な運行には信号が欠かせないが、これも鉄道会社の持つインフラである。言うまでもなく、車両も鉄道会社の資産であるし、運転士などの人員の確保や労務管理、乗務員の待機場所の設置なども鉄道会社の仕事である。
では鉄道会社が持つインフラを、バスの場合と同様に一般の人が持つ車両が共用して使うかというと、鉄道の特性上そんなことはない。鉄道会社は、自前の資産として持つインフラを使い、列車を走らせて乗客を運ぶことで収益を上げるのが基本である。
当然であるが投資や維持管理の費用も原則として鉄道会社が負担するわけだが、そのおおもとは乗客が支払う運賃と、駅や車内の広告スペースからの収入などの付帯収入である。
このように、道路の整備や維持管理には租税として徴収される公的な財源が使われるが、鉄道の整備や維持管理となると、鉄道会社が自前の収入から負担するのが原則である。
バスは公的財源で整備・維持管理される道路を他と共用して使うが、鉄道はすべて自前。バスと鉄道ではインフラにかかわる費用負担の条件がかくも異なるのである。
1999年に「クリップイットDS-7」で撮影していた日立電鉄の電車。同線は茨城県常陸太田市の常北太田駅と日立市の鮎川駅の間の18kmを結んでいたが、2005年に橋の設備更新の経費がかさむなどの理由で廃止された。沿線人口も利用者もそれなりに多く、公的に支援できれば現在まで公共交通として活きていたかもしれない鉄道である。