最低賃金引き上げはどこまで波及効果があるのか?東京都内の飲食店に張られた求人の案内=9月5日午後(写真:共同通信社)
(小泉秀人:一橋大学イノベーション研究センター専任講師)
前回、最低賃金引き上げは有効な貧困対策ではないことを説明したが、政府が最低賃金引き上げを推し進める最も大きな理由は「賃上げ」にあるだろう。特に、最低賃金付近の労働者だけではなく、それよりももっと賃金をもらっている人たち、いわば「みんなの賃金」が上がることが見込まれるとしている。今回はこの「賃上げは波及するのか」という問題について、最新の経済学の研究から説明する。
結論から先に言ってしまえば、最低賃金よりもだいたい400円ほど高い時給の人たちまでは波及効果があるが、それ以上はなく、業種は国際的な競争にさらされない小売りやサービスに限定的になる可能性が高い。
そして、こうした賃上げは、(1)潜在的な転職先の賃金上昇による経路と(2)零細企業がつぶれ、規模の大きな企業が労働者を吸収する経路を通して起こる。賃金格差は縮まることが期待される一方で、物価は今以上に上がることが見込まれる。研究結果を紹介しながら、順を追って説明しよう。
波及効果の存在
まず、なぜ最低賃金が上がったら、もともと最低賃金よりも高かった仕事にも波及するのか。政府の見解は、「ふわっと」していて、最低賃金引き上げで消費が喚起されて景気がよくなり他の仕事の賃金も上がる、という理屈である。
しかし、こういった経路での波及効果を厳密に検証できた研究は、少なくとも信頼性の高い経済学のジャーナルに掲載されたものにおいて筆者は知らない。
ただし、アメリカのように借金をしながら消費をするような国は例外的だろう。あるアメリカの研究によれば、短期的だが最低賃金で働く世帯全体で見ると最低賃金引き上げによって増えた収入の3倍も消費を増やしたという。これは少数ながら借金をしながら車を購入した世帯がいるために起こったが、こうしたことは日本では起こらないと考えるべきだ。
日本では、たとえ10%最低賃金が上がったとしても、家計における額にしたらそこまで大きな賃金上昇ではないため、消費促進効果は限定的と考えるべきだろう。
では波及効果はないのか。別の有力な経路がいくつかあり、主要なものを二つ紹介する。一つは、潜在的な転職先の賃金、もう一つは中小企業から大企業への移動である。潜在的な転職先賃金の経路を先に説明しよう。
