戦後80年を迎えた8月15日、株価が大幅高になったことを示すモニター。東京都港区の外為どっとコム(写真:共同通信社)
目次

この8月、日本は戦後80年を迎えた。株価は最高値を更新しているが、バブル経済が崩壊してから35年間の整理は本当についたのだろうか。元日銀の神津多可思・日本証券アナリスト協会専務理事が解説する。(JBpress編集部)

(神津 多可思:日本証券アナリスト協会専務理事)

2000年代央に不良債権の後始末は一段落したはずだったが…

 戦後80年の節目の年に、日本経済を長い目で振り返ることにも意味があるだろう。その80年の前半45年間で、日本経済は文字通り灰燼の中から復興し、世界の先進国に追い付くまでなった。その後の35年間は、ずっと同じような不調の期間と整理されがちだ。しかし、1990年代からの15年間とその後の20年では意味合いが違う。

 1990年代初頭にバブルが崩壊してから、その後始末が一応終わったとされるのは2000年代央だ。日本銀行の短観にある生産・営業用設備および雇用の判断DIが過不足のないゼロになったのはちょうどその頃だ。

 この15年間は、戦後の日本経済が経験したことがない大規模な不良債権の処理が必要な時期だった。確かに当時、やってもやっても不良債権の処理が終わらない感覚もあった。

 その理由は、マクロ的に言えば、日本経済の長期的な成長トレンドが下方に屈折したことをなかなか客観的に認識できなかったことだとも言えるだろう。

 長い目でみて自律的に持続しない需要は、いくら金融・財政政策で下支えしても、結局のところ長続きはしない。ヒト・モノ・カネの経営資源を、そのような長期的にサステナブルではない需要に対応した供給から、新しい分野へとシフトさせなくてはならなかったのである。

 その「長続きしない需要分野」の見極めと、そこからの撤退にとりあえず15年かかった。バブルが崩壊を始めた時点で、その長続きしない需要分野がこれほどまでに広範とは、経済活動に従事する多くの人は思いもしなかっただろう。1990年代後半の銀行危機を経て、ようやく長続きしない需要に関連する債権、すなわち不良債権の処理は、上述のように2000年代央に一段落した。

 しかし、それは一段落したようにみえただけだったようだ。