三の丸の中から見た平川門 撮影/西股 総生
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(歴史ライター:西股 総生)

はじめて城に興味を持った人のために城の面白さや、城歩きの楽しさがわかる書籍『1からわかる日本の城』の著者である西股総生さん。JBpressでは名城の歩き方や知られざる城の魅力はもちろん、城の撮影方法や、江戸城を中心とした幕藩体制の基本原理など、歴史にまつわる興味深い話を公開しています。今回の「江戸城を知る」シリーズとして、江戸城の北詰橋門、平川門を紹介します。

北拮橋門~城好き必見の激レア高麗門

写真1:本丸の中から見た北拮橋門。一見何の変哲もない高麗門であるが……

 北拮橋(きたはねばし)門は本丸の北にある門で、天守台のすぐ裏手に当たっている。門を出て土橋を渡ると代官町通りに出るので、本丸の裏口にしては不用心に感じられるが、全然大丈夫だ。

 北拮橋門は今でこそ高麗門だけだが、本当は渡櫓門を伴う厳重な枡形虎口だったからだ。近代になって、枡形を撤去してしまったわけである。それに、この門から橋を渡った先は、広大な北の丸である。北の丸の付け根の所を代官町通りや都心環状線が貫通してしまっているので、現在では門を出るとすぐ城外みたいに見えているだけなのだ。

写真2:よく見ると冠木の下面に吊り金具がある。近くでじっくり観察してみよう

 それだけではない。門柱の上に渡された横木を建築用語で冠木(かぶき)というが、その冠木の下面に吊り手のような金具が付いている。橋をチェーンではね上げるため仕掛けで、だから「拮橋門」なのである。

 堀の対岸から観察してみるとわかるが、ここの土橋は高麗門の手前で途切れて堀切のようになっている。門の直前部分だけを木橋にしておき、いざとなったらはね上げて防備を固める仕組みなのだ。

写真3:外側から見た北拮橋門。門の直前が堀切になっている事がわかる

 拮橋は軍学書などにはよく出てくるものの、実際に残っている遺例は皆無。拮橋の吊り金具が残っている高麗門は、筆者が知る限りここだけなので、非常にレアなのである。