自ら創り、自ら確かめる

 皆さんもご経験あるのではないでしょうか?

 黒板で先生が「証明」はしてくれるのですが、何か狐にでも化かされたような気分で「はぁ・・・」とはなっても、さっぱり得心がいかない。

 日本の大学は、教養課程も、学部3、4年の専門も、いずれもこの種の「はぁ・・・」が(少なくともかつては)非常に多く、その先「納得がいかない」と頑張った人は専門家として優れ、「はぁ・・・」のまま済ませた人は、およそ身に着かないのが常態でした。

 私も学部時代、一通り習ったはずの教程は、ほとんど「フォローしただけ」。

 院試に向けて4年の夏休み、すべてを自分で再構築して、初めて入口に近づいたかなという程度でした。

 実際には30歳を過ぎて助教授に就任、講義の担当を振られ、こうなると逃げ場がありませんから、自分で納得するまで徹底して確認し直したものは、フリーハンドでも黒板で学生と演習できますし、そうでないものは依然として怪しいものが大半・・・というのが全く偽らざるところです。

 では、上の証明に子供たちが「得心」がいくようにするには、どうしたらよいのでしょう?

 一つの方法として「実際に作図し」「結果を組み立ててみる」という実物教育があります。

 実際に条件に合う「ピラミッド」を「作図」して組み立ててみましょう。伊東研修士1年の佐藤想真君と手分けして6個作り、輪ゴムで停めてみたのですが・・・ぴったり重なり合いますね?

 自分で証明したはずの内容を、モノに実装して、現実に成立すると確かめること・・・。

 シミュレーションだけでなく、現実にロボットが動く、電子が動く、世界が変わり、そこに関わり合うことができる。

 そういう経験を私はかつて母校(私立武蔵高等学校中学校)で経験させてもらうラッキーなめぐり合わせがあり、いま現在も様々なモノをゼロから創り出す仕事をしています。

 ただ母校では「自ら調べ、自ら学ぶ」を学是にしているのですが、それでは足りないと思うんですね正直。

 調べて勉強した、ではしょせんは優等生です。

 高橋秀俊、岩沢健吉、霜田光一、戸田盛和、和田英一・・・母校は多くのクリエイティブな人材を輩出していますが、共通しているのは「調べて」「学ぶ」だけでなく「自ら作り」「自ら確かめる」仕事をしているんですね。

 そうやって、追試からでも始めてみると、いろいろ追究されていない可能性が残っているのが生き生きと分かってくる。

 そこから「自ら創り、自ら展開する」新たな分野の創成が始まるのだと思います。

 数学でも物理でも、作曲でも演奏でも全く同じ。何の違いもありません。

 そんなに大げさな話ではありません。実際に、いま「四角錐」で示した「1/3」を「三角錐」や「円錐」、さらには任意の底面の形状にも一般化できますが、ここではヒントの図を一つ示すにとどめましょう。

 これらはすべて私自身でコンパスと直線定規を用いて作図し、前述のように伊東研修士1年の佐藤君と一緒に組み立てたものです。

 佐藤君は生物情報科学を修め、ゲノムの計算に習熟した有為の青年で、高度な情報システムの構築と、こうした基礎、1の1をどうつなげていけるか、ラボで日常的に話す中から、こんなものを作ってみたわけです。

「いまここ」で「作ってみる」ことが「生活経験」として、彼・彼女の基底となる体験になることを期待しているんですね。

 東京大学伊東研究室で学位を取った人は皆、修士1年から自分の仕事の道具を自作します。

 これは私自身が物理学科―大学院にかけて小林俊一、大塚洋一両先生をはじめ、親研究室の指導陣に教えていただいたマナーの通りで、こういう経験があると、その先非常に仕事がしやすくなる。

 明らかなこと。それは、見透しの良い仕事をすべきこと。

 筋道がよく見通せた計算やプログラム・ビルディングが重要で、そこには小学校から中学にかけて学ぶ(はずの)図形の基礎、幾何の方法と実践、さらには公理に基づく厳密な論理構成と、シンプルで必要十分な明証性が非常に強力だということです。

「生成AI」を筆頭に、高度なシステムを構想立案、実装完遂するうえでは、豊富なビジュアルイメージ・・・正確に記すならユークリッド空間からヒルベルト空間まで、様々な「線形空間」の挙動に関する的確なアナロジーを持つことが重要です。

 こうした本質を小学低学年、いや、学齢前の小さな子供たちまにで、どのように正しくかみ砕いていけるかは、日本の今後を左右する本質的に重要な課題と考えています。