「国民リーグ」の破綻を機に日本のプロ野球にも「二軍」が
日本のプロ野球では「第2のプロ野球騒動」の余波によって、二軍が誕生した。
当コラムの「独立リーグ」の回で、1947年、第2のプロ野球として4チームから成る「国民リーグ」が誕生したことを紹介した。このリーグは、既存のプロ野球から一切の協力を得ることができず1年で経営破綻した。
【参考】幻のプロ野球「国民リーグ」「グローバルリーグ」から時を経て、元西武・石毛宏典が実現させた「独立リーグ」(2025.1.13)
この国民リーグの「残党」9選手を、プロ野球の金星スターズが獲得。金星は40人近い大所帯となったが、当時のプロ野球は25人しか登録できなかったため、アメリカのマイナーリーグに倣って一、二軍制度を創設し、連盟もこれを承認した。
当初二軍を持つ球団は金星と急映(のちの日本ハム)の2球団だけ。
それぞれチーム名も別個だった。
金星:一軍=金星スターズ、二軍=金星リトルスターズ
急映:一軍=急映フライヤーズ、二軍=急映チック・フライヤーズ
1949年には、大陽ロビンス、阪急ブレーブス、読売ジャイアンツも二軍を創設。この年後半には南海ホークス、中日ドラゴンズも二軍を創設するため選手を募集した。
ただ、この時点では散発的に試合があっただけでリーグ戦は行われなかった。
アメリカのマイナーリーグは、独立リーグを傘下に入れることで始まった。日本でも日本初の独立リーグである国民リーグの選手の獲得が始まりだったが、その後は、球団が選手を募集してチームを編成するようになった。