異例ずくめの松前藩

 松前藩と他の藩との最も大きな違いは、「石高」がないことである。

 松前藩の領地である蝦夷地は、米が収穫できないからだ。

 ゆえに、松前藩は「無高(むだか)大名」と称された。

 対馬を所領とする宗氏も無高大名である。

 一万石以上の領地をもつ武家を大名と呼ぶが、後に松前藩は便宜的に「一万石格の大名」とされる(新藤透『北海道戦国史と松前氏』)。

 松前藩の財政を支えていたのは、米ではなく、アイヌ人との交易だった。

 松前藩では、蝦夷産物、木材、砂金(産出は江戸前期)、鷹などを商品とする交易収入、のち、交易を商人に請け負わせ、その運用金・雑税を財源としていたという(児玉幸多・北島正元・榎森進監修『新編物語藩史 第1巻』)。

 松前藩は家格も異例である。

 江戸時代の初期には「賓客(ひんきゃく)」待遇という、特殊な扱いだった。松前藩以外には、石高は五千石だが、名家のため十万石の格式を与えられた喜連川藩ぐらいしかないという(濱口裕介・横島公司『シリーズ藩物語 松前藩』)。

 参勤交代もまた異例だった。

 多くの大名は毎年の参勤が義務付けられていたが、松前藩の江戸参府は3年に一度(のちに5年に一度)で、さらに期間も、4~5ヶ月でよいという、特例が認められていた。これは前述の対馬藩宗氏も同じ扱いだった。

 ドラマに登場した松前道廣は、この松前藩の8代藩主である。