白山神社 写真/toshi007/イメージマート

(吉田さらさ・ライター)

祭神は白山比咩大神=菊理媛尊

 東京都内には花の名所と呼ばれる場所が多く、とりわけ文京区で開催される「文京区の五大花祭り」が有名だ。播磨坂の桜祭り、根津神社のつつじ祭り、白山(はくさん)神社の紫陽花祭り、湯島天神の梅祭りと菊祭り。文京区には由緒ある寺社が多いためか、5つの花祭りのうち4つが神社で行われる。今回は、その中から、毎年6月(2025年は6月7日~15日)に紫陽花祭りが行われる白山神社をご紹介しよう。

 白山神社または白山社と呼ばれる神社は全国各地に2700社ほどあり、その総本宮は石川県白山市の白山比咩(しらやまひめ)神社だ。石川県、福井県、岐阜県、富山県の県境に聳える美しき山白山は、古くより山岳信仰の対象であった。霊山に登拝すること自体が信仰と考えられていたため、加賀国、越前国、美濃国(現在の石川県、福井県、岐阜県)には、禅定道と呼ばれる長い参詣道が作られ、山岳修行をする人々が行き交った。祭神は白山比咩大神(=菊理媛尊[くくりひめのみこと])、伊弉諾尊(いざなぎ)、伊弉冉尊(いざなみ)の三柱である。

 この菊理媛尊は謎に満ちた女神だ。日本中に広まった白山神社の主祭神でありながら、なぜか古事記には登場せず、記述があるのは日本書紀のみ。しかしその役割はきわめて重要だ。なんと、伊弉諾尊、伊弉冉尊の仲裁をしたというのである。

 伊弉冉尊はたくさんの神を産んだが、火の神を産んだ際にやけどを負って亡くなり、黄泉の国に行ってしまった。伊弉諾尊は妻を追って黄泉の国に行くが、見るなと言われた妻の遺体を見て逃げ出した。怒った伊弉冉尊は伊弉諾尊を追い、黄泉の国と現世の境目である黄泉比良坂で追いついて口論となった。そこへ菊理媛尊が現れ、何かを言った。その内容も菊理媛尊がどこから来たのかも書かれていないのだが、伊弉諾尊は菊理媛尊が言ったことを褒め、そのまま帰って行ったとのこと。

 伊弉冉尊にしてみれば、こんなオチで怒りが収まるのかというような話でもあるが、菊理媛尊は、伊弉諾尊、伊弉冉尊を仲直りさせたということで、縁結びの神として信仰されるようになった。神名の「くくりひめ」は「くくる」、つまり結びつけるということから来ているという。そういうわけで、白山比咩神社は、全国でも最強の縁結びの聖地として若い女性に人気である。

白山神社の紫陽花 写真/Spuyan/イメージマート

 今回ご紹介する文京区の白山神社は、天暦年間(947~957)にこの白山比咩神社を勧請して建てられたもので、当時は現在の本郷一丁目の地にあったと伝わる。東京の中心部に鎮座する神社としてはかなり歴史が古い方だろう。

 江戸時代になり、元和年間(1615~1624)に2代将軍秀忠の命で巣鴨原(現在の小石川植物園内)に遷され、その地に5代将軍職につく前の徳川綱吉の屋敷を造営することになったため、明暦元年(1655)に現在の地に遷座された。この縁でこの神社は、綱吉と生母桂昌院の厚い帰依を受けることとなる。この母子は、江戸のみならず他の地域でも、寺社仏閣の建立、修復を数々行っている。