
(吉田さらさ・ライター)
鹽竈神社と志波彦神社
仙台からJR仙石線で少し北に行くと本塩釜という駅がある。今回ご紹介する鹽竈神社はそこから徒歩15分ほど。海を見晴らす小高い丘の上に立つ華やかな神社である。古くは東北鎮護、陸奥国の一之宮として、朝廷、武家、一般庶民たちからの崇敬を受け、現在は東北有数のパワースポットとしても人気が高い。
お参りの前にまず心得ておきたいのはルートである。この神社がある丘に登るには複数の道があり、駅から歩くと最初にあるのが東参道、次に七曲坂、三つめが表参道だ。せっかくはるばる来たのだから表参道からお参りしたいと思うだろうが、実はここまで来てひるむ人も少なくない。

ものすごい勾配の石段が202段。登り切ったところにすぐ立派な門と本殿があるので、脚力に自信があればぜひこの道で。しかし、少し戻ったところにある七曲坂も決して楽とは言えない。さらに戻ったところにある東参道は比較的平坦でおすすめだが、もっと楽をしたければ駅からタクシーで行く方法もある。
何らかの方法で辿りついた境内は広く、市街地や海も見えて素晴らしい眺めだ。ここには2つの大きな神社があり、向かって左側が鹽竈神社、右側が志波彦神社である。

奈良時代から対蝦夷の戦いのための鎮守府であった多賀城が、ここから西南5キロほどのところにあり、その多賀城から見てこの神社は東北、すなわち鬼門に当たるため、守り神としての役割があったとも考えられる。
中世以降も東北鎮護・海上守護の陸奥国一之宮として重んじられ、奥州藤原氏などに篤く信仰された。江戸時代には伊達家の守護神ともなり、伊達政宗以降、歴代の藩主がこちらの大神主となってきたという。
次に三柱の祭神とその祀られ方について見てみよう。伊達家によって元禄時代に造営された本殿には左右二つの宮があり、左宮本殿に武甕槌神、右宮本殿に経津主神、そしてその本殿に向かって右側にある別宮に主祭神格とみなされる塩土老翁神が祀られている。これはかなり珍しい配置であるが、その三柱がここに祀られるに至った経緯もなかなかに興味深い。
武甕槌神は茨城県の鹿島神宮の祭神、経津主神は千葉県の香取神宮の祭神。記紀における国譲りの章で手柄を立てた英雄的な武神(経津主神は日本書紀にのみ登場)である。『天照大神が大国主命の造った出雲国を見て譲って欲しいと言い出し、この二神を地上に遣わした。大国主命の息子の建御名方神はこれに抵抗したが、相撲で負けて諏訪に退散し、出雲はめでたく譲られた』というあの有名な話である。
この二柱の神はそれぞれが鹿島神宮と香取神宮に祀られたが、奈良に春日大社を創建する際に招かれ、白い神鹿に乗って飛んで行ったというのもよく知られた逸話である。そしてこの二柱は東北平定の役目も担い、この地にやってきたと伝わっている。
その際に道案内をしたのは神鹿ではなく、別宮に祀られている塩土老翁神だ。この神の名は前述の二柱ほど有名ではないが、記紀の中では極めて重要な役割を持っている。日本書紀では神武天皇に東征を決意させた神とされ、有名な『海幸山幸』の話の中では、海幸彦から借りた釣針をなくして困っている山幸彦を小船に乗せ、そのままよい潮目に乗れば海神の宮に着くというアドバイスを与えたという。
つまり塩土老翁神は、万事に通じ、よき方向に導いてくれる賢い老神なのだ。一説によれば、これら三柱の神々は海を渡ってこの地にやってきたとも言われ、その際、塩土老翁神はシャチに乗って来たという話もある。二柱の武神を先導するシャチに乗った白い髭の老神。アニメにしてみたいような面白い伝承である。