生成AIから句作を捉え直す
そこに2022年末、「チャットGPT」のブームが起き、生成AIが社会に普及し始めたので、直ちに「AIで俳句を作らせてごらん」という課題に変えると、これは全員、苦もなくできるわけです。
「正月の俳句を5句作れ」とプロンプトを入れると、何かそれらしい、でもかなり下手くそな句が5つ並ぶ。
そうしたら、その「AI句会」を添削してごらん、と指導を続ける。
そうすると、あれやこれやっているうちに、その子らしい何かが出来上がってくる。
手ぶらで「何か作れ」といって何も出てこない学生たちに、生成AIのアシストで作るよう演習の課題を出してみたわけで、これが思った以上にうまくいった。
実際の演習は、単に「俳句一つ」だけでなく、これを外国語に訳したり、ビジュアルも出力して「詩画書」三位一体などと続くのですが、ここでは話を簡単に区切っておきます。
残念ながら金子兜太さんは2018年2月に逝去されたので、チャットGPTを知る由もありませんでしたが、こうした試みをお話ししたら、まず間違いなく「面白い!」とおっしゃったに違いない。私はその確信があります。
というのも、兜太さんご自身、作句にあたっては「辞書」数冊を常に活用され、「字引と格闘しながら推敲」を、常々強調しておられたから。
チャットGPTの利用は「辞書」が電子化した程度の意味合いに相当するからです。
生成AIは「電子辞書」の高度化
「AIに俳句を詠ませる」というと、露骨に嫌な顔を見せる人がいます。
「なぜ?」と問うと、「自分の感性、自分の頭で考えないとダメでしょう」などとおっしゃる・・・。
なるほど一見ごもっともであると同時に、この人はほとんど作品を作ったことがないな、と察しがつきます。
「はい、自分の頭で考えるのは当然ですが、ところで、貴方はどれくらい俳句や和歌を真剣にお作りになったご経験がありますか?」
「え?」
「よろしければ、御作を2、3ご披露いただけますか?」
「・・・」
黙ってしまいます。つまり、想像上の絵空事、「古米はまずい」式の思い込みでうわごとを言っているに過ぎない。
俳句を作ったことがない人が、漠たる素人のイメージで「俳句は感性、俳句は頭」なんて思い込んでいるんですね。
実際、素人でも俳句を詠む人は「歳時記」という辞書の一種を常用します。あれだって立派な事典です。
さらにプロの俳人、歌人となれば、ハンドブックなしに仕事が続きません。毎週、新聞の俳壇、歌壇などで選者を務める人は、常に莫大なリファレンスを参照しつつ反応の感度を磨いているものです。
例えば、言い換えのうまい漢字を探す、韻を考えて逆引き辞典を引きまくる、などなど。
特に、「若い時期は日常茶飯」と、ほかならぬ大物選者だった金子兜太さんからうかがいました。
私は2010年代後半、毎月第3木曜の午後、埼玉県熊谷市の金子邸をお訪ねし、半日お話をうかがってオーラル・ヒストリーを含む協働を進めていました。
それが、2017年12月にうかがったのち、2018年のお正月から体調を崩され2月にご逝去、後を追うように高畑さんも4月に他界された。