思い出の名馬たちと悲劇のレース

 競馬ファンにとっては忌まわしい言葉として「予後不良」という言葉があります。辞書によると、「予後」とは、病気・手術などの経過または終末について医学的に予測すること、「予後不良」で病気の経過や結末の予測が良くないこと。回復する見通しの少ないこと、とあります。

 競馬の世界で「予後不良」といえば、レース中に骨折などで故障した馬が、治療を施されても回復の見込みがなく安楽死(薬殺)させる際に使用する用語で、ファンにとっては実に不吉な言葉です。

「予後不良」の四文字から私がすぐに思い浮かんでしまうのが、レース中に故障したテンポイント、サクラスターオー、サイレンススズカ、ホクトベガの名馬たちの映像で、それぞれレース中のシーンが悪夢のごとく甦ります。

 1978年1月22日、粉雪舞う京都競馬場で行われた日経新春杯で古馬王者となった6歳(当時の馬齢)のテンポイントが66.5キロの斤量を背負い出走しますが、第4コーナーで左後肢を骨折、競争を中止します。

 テレビで実況していた関西テレビの杉本清アナウンサーはこのとき「これはどうしたことか。これはどうしたことか。故障か。故障か。ああっと故障か。テンポイントは故障か」と発した、うめき声にも似たアナウンスは今でも私の耳に焼き付いています。

 テンポイントの死後、障害を除く重賞レースで60キロ以上の斤量を背負わせる馬が激減したのも、テンポイントの悲劇がもたらした影響でしょう。

 1987年の年末、有馬記念でレース中に故障したサクラスターオーのことも忘れられません。「予後不良」とは診断されたものの、馬主や調教師の要望で安楽死の処置がされず延命治療が行われますが、137日にわたる闘病の末、翌年5月17日に安楽死処置がなされました。

 たまたま、この年7月に公開された映画「優駿」の撮影現場を取材するため、私は封切り前の5月中旬、北海道静内に滞在していました。取材後、サクラスターオーの生産牧場である藤原牧場を訪ねると、ちょうど同馬の葬儀が行われていて、折しも桜が散る中、私も星になったスターオーの冥福を祈ることができました。

 サイレンススズカの最期のレースとなった1998年秋の天皇賞はYouTubeで見ることができるのですが、切なさで胸がいっぱいになってしまうのは今も変わりありません。速すぎる馬の悲劇でした。YouTubeから流れる実況アナの「なんということだ! 沈黙の日曜日!」の声がむなしく響いてきます。