紅化粧:下唇を玉虫色に光らせる紅化粧が大流行
江戸時代の紅化粧に使用されたのは、紅花から抽出した紅である。
紅の収量は生花の0.3%と極めて少なかったため(高橋雅夫『化粧ものがたり-赤・白・黒の世界』)、大変に高値で、「紅一匁、金一匁」と称された。
17世紀末には、紅は唇だけでなく、頬や爪にもさされていたと思われるが、頬紅は元文(1736~1741)のはじめ頃から廃れ、口紅が紅化粧の中心となったという。
文化・文政期(1804~1829)には、下唇を玉虫色(緑)に輝かせる「笹色紅(ささいろべに)」という化粧法が、江戸と上方の両方で大流行した。
紅花の紅は、何度も何度も塗り重ねると玉虫色に光る。
笹色紅はその性質を利用した化粧法で、一説では、遊女からはじまったとされる(以上、山村博美『化粧の日本史-美意識の移りかわり-』)。
高価な紅をふんだんに塗り重ねる笹色紅は、高級遊女の豪奢で艶やかな姿を表わす、シンボル的な化粧法だったという(安藤優一郎監修『江戸の色街 遊女と吉原の歴史』)。
薄い墨を塗った上に紅を重ねると、笹色紅に近い輝きが出るという、紅を節約した裏技も生み出された。
