お歯黒:吉原の女郎が、お歯黒をした意味は?

吉原遊郭の「お歯黒どぶ」の石垣跡 写真/a_text/イメージマート

 日本で最も古い化粧は、お歯黒だとされる(谷田有史・村田孝子監修『江戸時代の流行と美意識 装いの文化史』)。

 その起源は特定できないが、平安時代以降、公家の男性と女性が、成人の印として、お歯黒をしていたという(陶智子『江戸の化粧』)。

 江戸時代には女性専用のものとなり、男性でお歯黒をするのは公家だけとなっている。

 江戸時代の女性は、婚約、あるいは結婚するとお歯黒をした。黒は他の色の染まらないことから、貞節の印として歯を黒く染めたともいわれるが、それは「こじつけ」だとする説もある(高橋雅夫『化粧ものがたり-赤・白・黒の世界』)。

 お歯黒により、未婚なのか既婚なのかが一目でわかってしまうため、結婚適齢期を過ぎると、未婚でも世間体のためにお歯黒をする女性も多かったという。

 吉原の女郎たちは、どうしていたのだろうか。

 吉原では、新造(女郎見習い)がはじめて客を取る「突出し」の日から、お歯黒をした。お歯黒は、吉原では一人前の女郎となった証となる化粧なのだ(安藤優一郎監修『江戸の色街 遊女と吉原の歴史』)。

 また、女郎が「客の一晩だけの妻」になるという意味から、お歯黒をしたともいう(谷田有史・村田孝子監修『江戸時代の流行と美意識 装いの文化史』)。

 なお、芸者、および岡場所の女郎は、お歯黒をしなかった。

 お歯黒は「お歯黒水」と、染料である五倍子(ふし)で作る。

 お歯黒水は、鉄片を米のとぎ汁や、茶の汁、酢のなかに浸して密封し、2~3ヶ月置いて、発酵させたものである。褐色に濁っており、現代人には耐えがたいほどの刺激臭を放つ。

 このお歯黒水と五倍子の粉を、交互に歯に塗った。

 吉原の周囲を取り巻く「お歯黒どぶ」の名は、女郎がお歯黒を終えた後に、お歯黒水を捨てたために、水が黒く濁ったことに由来するともといわれる。