左から久坂玄瑞、高杉晋作

(町田 明広:歴史学者)

攘夷別勅使の江戸到着

 文久2年(1862)10月28日、正使を三条実美、副使を姉小路公知とする攘夷別勅使の一行は、武市半平太らの随行員を伴って江戸に到着した。麻疹に罹患した14代将軍徳川家茂に代わり、老中らが品川まで出迎えた。

 早速、三条は攘夷実行を求める勅書を家茂に授与した。日本を攘夷論に統一し、全国の大・小名に布告すること、また、どのように外国の要求を拒絶するのか、大至急議論を尽くして方策を定め、攘夷を実行することを要求したのだ。天皇の意向を伝える沙汰書も2通あり、蛮夷拒絶(攘夷実行)の期限を天皇に奏聞すること、御親兵を設置することが幕府に伝達された。

 これらは、既に述べた土佐藩主山内豊範の名で朝廷へ出した建白草案(文久2年閏8月)に記載されており、武市の策略である。つまり、今回の攘夷別勅使は、武市が発案し主導したものである。まさに、こうした攘夷実行に向けた動向において、武市は人生の絶頂期を迎えたのだ。