なぜこれほど被害が大きくなったのか。原因を探る前に、まずはこの地域の地理について説明しよう。
三陸沿岸は中央部の宮古市から北側の沿岸は隆起海岸であり、南側は宮城県の牡鹿半島まではリアス海岸となって、複雑に入り組んでいる地形となっている。そのため大船渡市は中心部以外には平地が少なく、海岸ギリギリまで山林が迫ってきているような地形になっている。

漁業には極めて適した土地だが、歴史を振り返れば津波の被害を何度も受けてきた地域でもある。三陸町綾里と大船渡市との境には津波伝承碑が置かれ、明治・昭和の大津波の被害について記されている。東日本大震災でも巨大な津波が押し寄せた。
ちなみに、明治29年、さらに昭和8年の大津波で多くの犠牲者を出した綾里白浜地区では、その後、住民の多くが高台に集団移住した。そのお陰で、東日本大震災の際にもこの地区では人的被害は出なかった。防災に対する意識は高い地域なのである。
三陸の冬はカラカラ
この地域は気候面でも厳しい環境に置かれている。夏はオホーツク海から吹く「やませ」にさらされ、かつては30度を超える日が数えるしかなかった。「やませ」が吹くと真夏でも最高気温は20度程度にしかならず、稲の生育には適さない。そのため江戸時代にはたびたび飢饉に見舞われ、餓死者が出たこともあるほどだ。
一方、冬には日本海側から風が吹いてくる。湿った雪雲はまず東北地方の“背骨”奥羽山脈に当たって、秋田側に大雪を降らせる。その風は今度は岩手県中央部を走る北上山地に当たり盛岡などの北上平野に雪を降らせる。奥羽山脈と北上山地を越えてきた西風はカラカラに乾いたものになり、三陸地方に乾燥をもたらすのである。そのため異常乾燥注意報は三陸では定番だ。冬の三陸は最高気温が0度を下回ることもあるくらいの寒さなのだが積雪はほとんどない。このカラカラの西風は春先まで続くのである。
この三陸特有の冬の乾燥が今回の山火事の背景にある。山林は消防車などが入りづらいうえ、急斜面などで足場も悪い。ホースを伸ばしたり現場近くで水を確保したりするのが難しく、地上からの消火活動は容易ではない。そのためヘリコプターによる消火活動に頼ることになるのだが、上空からヘリコプターで消火する場合、火災現場と水を補給する海などの地点を往復するのに時間がかかるうえ、風の影響で狙った場所に放水するのも容易ではない。これが鎮火が容易ではない要因だ。
