異変に気付いた西園寺公望が動く
ただ常識的に考えるとどうもおかしい。それに最初に気づいたのは、元老(げんろう)の西園寺公望(さいおんじきんもち)という人でした。元老というのは、天皇陛下の側近でいろんな相談にのる、内閣総理大臣経験者のことです。
「西園寺さん」とよばれて明治時代に活躍した彼は、昭和に入ってからも現役で、ふだん静岡県興津(おきつ)に住んでおり、東京へ出てきては、明治34年(1901年)生まれで当時26歳という若さの昭和天皇にいろいろ助言をしていたのですが、その西園寺さんが、「さては陸軍がやったな」と感づきました。
「けしからんことだ、世界的に公にはできないが、国内ではきちんとケリをつけておかないと将来的にいい結果をもたらさない」と上京して、当時の内閣総理大臣で元陸軍大将の田中義一(たなかぎいち)を呼びつけ、「政府としてこの問題をしっかり調べ、もし犯人が日本人であるということになれば厳罰に処さねばならない」と申し渡します。
天皇への報告を先延ばしにしたがる田中首相
ところが田中首相は、「わかりました」と言うだけで一向に実行しようとしない。西園寺さんが急かしますと、「11月10日の天皇御即位の大典が済んだ後で、この問題について陛下に申し上げるつもりだ」と答えます。
西園寺さんは、「内閣総理大臣であると同時に陸軍の親玉の立場でもあるからといって、そのようなごまかしを言ってはいけない、早く報告するように」と再びせっつきました。
田中首相は渋ったものの、たびたび急かされたため、事件から半年以上たった12月24日になってようやく天皇に会いに行き、「この事件は世界的にも大問題ですので、陸軍としては十分に調査し、もし陸軍の手がのびているということであれば、厳罰に処するつもりでございます」と述べ、天皇は「非常によろしい。陸軍部内の今後のためにもそういうことはしっかりやるように」と答えました。
『昭和天皇独白録』という、昭和天皇が自ら昭和時代を語った本がありますが、これは冒頭に張作霖爆殺事件をもってきています。つまり、昭和という大動乱がはじまる基はこの事件だったわけです。
第2回 張作霖事件、「陸軍の関与なし」の報告に昭和天皇が激怒
につづく。