人は「肩書きがなくなったら人生終わり」ではない
「肩書きが外れたら誰も連絡をくれなくなった」「肩書きが外れたら取引先からの接待に呼ばれなくなった」。そのような話を聞くと「肩書きがなくなったら人生終わり」と思い、職場にしがみつけるものなら老害と言われてもしがみついていなければと考える人もいることでしょう。
また、異動などで自分の仕事のモチベーションだった肩書きが外れた時に「人生終わった。もう何もやる気が起きない」と思い詰める方もいるかもしれません。
でも、誰に連絡や報告をするかというのは基本的に肩書きに紐づいているわけですから、肩書きが外れたら誰でも連絡は減るでしょう。
それに、接待に関しても、相手側は一個人に対して接待をしているわけではなく、決裁権のある肩書きに対して接待をしているわけですから、担当者が変われば接待する相手も新しい担当者に変わるのは当たり前のことです。
肩書きが外れてその人の価値が変わるわけではありませんし、そう思っているのは「ご自身」だということです。ですが、それがやっかいなのはわかります。
私も実際に、ここでは書けない方法で肩書きを失ったことがあります。
「『あいつを追い出してやった』と、当時○○さんが言っていましたよ」と、当時その組織に勤めていた同僚と先日久しぶりに再会して初めて聞きました。ですが、私は肩書きのために働いていたわけではなく、やらなければいけない仕事のために肩書きが必要だと思っていただけでしたので、その当時も「まあ、しょうがない」と、断ち切って前へ進む決断をしました。
私がこうやって今生きていられるのは、脱サラして肩書きが何もなくなってしまった自分に仕事をくれた肩書きのある方、肩書きが何もない自分を侮蔑しないで励ましてくれた肩書きのある方、そして肩書きが何もない自分の企画を、ご自身の肩書きを使って通してくれた方。そのような「ご自身の肩書きを他者のために使ってくださった方達」によって自分が蘇生された気がします。
そして、肩書きというのは本来そのような使い方をしなければいけなかったのだと思いました。