大阪高裁の裁判官は自分たちの正義と役割を貫いた

 単純に「医学生が女性をレイプ」といえば、報道も過熱するものです。「とんでもない事件だ」と思うのは、娘を持つ親として私もまったく同感です。そんな犯罪があるのなら許されない。

 一方で、今回は裁判官は一般には公開されていない膨大な証拠や証言を元に、どのような経緯で性交に至ったかという点を吟味し、事実関係を認定し、その内容が法に照らして違法であるかを3人の裁判官たちが精査して結論に至り、判決を出しています。

 刑事事件が起訴されれば99%が有罪となる我が国の独特な刑事司法の中で、三審制の仕組みに基づき、吟味のうえで一審を破棄し、一転無罪判決を下すというのは大変なことです。世論は報道やネットでの情報を根拠なく思い込み、動くこともありますが、そうした世論になびくことなく決断を果たした裁判官たちは自分たちの正義であり役割を果たしたと言えます。

 何より、昨今問題となった袴田裁判での冤罪事件でも見られたように、「疑わしきは、被告人の利益に」という原理原則があり、国民が一部の報道を見てどう思おうと、「裁判官は、その良心に従い独立してその職権を行い、憲法及び法律にのみ拘束される(憲法76条3項)」と定められています。

 特に、今回の件は一審判決での事実認定でザワつきが起きたように、レイプを行わず、自宅に帰った29歳男性さえも強制性交等罪(旧強姦罪)で有罪判決とされてしまいました。

 大阪高裁の判決文が公開され、どのような事実認定がなされたのかを見てからでないと、単純に「不当な無罪判決」だから「当該判決を下した高裁裁判官は訴追委員会に訴追し職を罷免されるべき」だというような署名運動の正当性は判断できません。