兵庫県庁で就任記者会見をする斎藤元彦知事=19日午後(写真:共同通信社)
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(舛添 要一:国際政治学者)

 出直し選挙となった兵庫県知事選は、斎藤元彦前知事が当選した。パワハラ疑惑などで、マスコミの厳しい批判に晒された斎藤は、SNSを上手く活用して勝利を収めた。その勝因については、既に数多く論評されているが、私は今の地方自治のあり方について、制度論を含めて問題を提起したい。

 また、アメリカでは、次期大統領に選ばれたトランプが、信じがたいような側近人事を次々と発表している。さらには、退陣間近なバイデン大統領が、ウクライナに長距離ミサイルの使用を許可し、早速、それがロシア領内攻撃に使われている。これらの動きも、大統領制度と関連がある。

モンテスキューを疑う

 私は国政の場で、国会議員や閣僚を経験した後に、東京都知事になった。東京は首都であるが、地方自治体である。国政との落差に愕然として、地方自治の問題点を数多く認識させられた。それは、議員や役人の能力や質の問題もあるが、それ以上に制度設計上の問題がある。

 ヨーロッパの政治史を振り返ると、王様の独裁を牽制するために議会が権力を拡大し、王制を廃止したり、国王に政治的権力を持たせない立憲君主制に移行したりした。

 そして、現代の民主主義国家では、議会が内閣総理大臣を決める制度(議院内閣制)や国民による直接選挙で大統領を選ぶ制度(大統領制)が導入されている。議院内閣制の場合、国会が「国権の最高機関」であるから、首相が独裁者とならないような歯止めが制度的に内包されている。しかし、大統領制の場合はそうではない。

 この制度は、モンテスキューの言う三権分立を徹底させた政治制度である。行政は大統領が率いる政府、立法は議会、司法は裁判所と、三つの権力が分立しており、相互に牽制する。

 たとえば、アメリカ大統領は議会に足を踏み入れることはできない。また、大統領は議会両院で可決された法案を拒否できるが、両院の3分の2の賛成で大統領の拒否権を覆すことができる。さらに、議会は大統領と連邦最高裁判所判事の弾劾訴追・裁判を行うことができる。

 この三権分立という仕組みの目的は、政府に巨大な権限を集中させないことである。

 これと並んで、独裁を生まないための工夫が、もう一つ施されている。それが連邦制である。中央政府の暴走を地方政府が止める、逆に地方政府の飛び跳ねを中央政府が抑えるというものである。建国の父、とくにジェームズ・マディソンが強調したのが、中央政府と各州政府との「抑制と均衡」の重要性であった。