扱いづらい実資に見せた道長の「神対応」

 それにしても「和歌屏風」と聞いても、どんなものなのかイメージが難しい。

 ドラマでは、歌人たちから和歌を集めた後、屏風の上側に和歌の書かれた半紙がペタペタと貼られていた。確かにこれを見れば、いかに彰子の入内が公卿たちから支持されているかが一目瞭然だ。和歌屏風がきちんとビジュアル化されたことで、道長の狙いがよく理解できた。

 ドラマの一条天皇は、部屋に入るやいなや、和歌屏風に目をやっていたから、試みは成功したと言ってよいだろう。

 正確な情報を知るには専門性の高い文献に当たるのが一番だが、具体的なイメージを膨らませるには、やはり映像が適している。文字面でなんとなく分かっていたつもりの歴史的な事柄を、きちんとビジュアル化してくれるのが大河ドラマを見る醍醐味のひとつだと、改めて感じた。それに加えて、歴史人物の心情がありありと描写されるのも、歴史ドラマの見どころのひとつだ。

 彰子が入内するタイミングで道長が用意した和歌屏風については、ロバート秋山演じる藤原実資(さねすけ)の振る舞いに注目していた。

 というのも、数々の歌人が道長の依頼を快諾するなかで、実資だけが「大臣の命で歌を作るなど前代未聞」と突っぱねて、何度催促されても応じなかったからだ。ドラマでも、やはり実資は「公卿が屏風歌を詠むなどあり得ぬ。先例もない」と拒否。食い下がる源俊賢に、さらにこう言い放っている。

「左大臣家の姫はまだ入内前。女御にもなっておらぬ者のために、なにゆえ公卿が歌を詠まねばならぬのか! 左大臣様は公と私と混同しておられる」

 これには、報告を受けた道長も「実資らしいな」と諦めるほかなかった。実際の実資も、立場が上の相手にも自分を貫く実直な男だったようだ。そんなややもすれば、扱いづらい実資を道長は手放すことなく、息子の頼通の代になっても重宝している。

 今回の放送でも道長は実資とのわだかまりが残らないように、こんな言葉がけを行っており、史実の流れに即したキャラクターづけがなされていた。

「中納言殿が『歌は書かぬ』と仰せられたときの、自らの信念を曲げず、筋を通されるお姿、感じ入りました。これからも忌憚なく、この道長にご意見を賜りたくお願いいたす」

 面白かったのは、道長から完成した屏風を見せられたときに、実資が「院までもか……」とつぶやいて、和歌を断ったことを後悔している様子が見られたところだ。ロバート秋山の好演といえるだろう。実資と道長の絡みはこれからも楽しみである。