「式部は道長の妾」という噂は昔からあったが…
さて、今回の放送で視聴者を大いに驚かせたのが、まひろの懐妊である。史実においても、紫式部は長保元年(999年)に長女・大弐三位(だいにのさんみ)を産んでおり、懐妊自体には驚きはない。
たが、ドラマでは、その父親が夫の藤原宣孝(のぶたか)ではなく、藤原道長だというのだ。残された和歌から、紫式部と宣孝は新婚早々けんかをしたり、宣孝の足が遠のいたりしていたことが分かっている。そんな夫婦が疎遠な期間に、石山寺にてまひろと道長は再会。関係を持ったことが、妊娠につながった──というのが、今回のドラマの設定のようだ。
もっとも「式部と道長が恋愛関係にあったのではないか?」とする説自体は、以前からある。南北朝時代に成立した系図集『尊卑分脈(そんぴぶんみゃく)』において、紫式部の箇所に「御堂関白道長妾云々」と記載されているのは、そんな噂の出所の一つだろう。
ここでの「妾」の意味合いについてはさまざまな意見がある上に、『尊卑分脈』の記載は信ぴょう性に欠けているとも言われている。記載内容をうのみにすることはできない。
式部自身は『紫式部日記』で道長と和歌のやりとりをしている様を書いており、読み方によっては、親しい仲にあったと解釈できそうだ。それでも、式部が道長の娘・彰子に仕える前の時期に、道長と深い仲になって子どもをつくったというのは考えにくい。
「紫式部の母は藤原道兼に殺された」という設定に匹敵するほどの大胆な脚色であり、今後の物語にどんな影響を与えるのか注視していきたい。