まあ、これはこれでおもしろそうだ。しかし、いまはこんなのんびりとした散歩をしている場合ではない。

 歩きではなく、自転車に乗っているときに、新しい、初めての道に入り込んでみた。自転車なら多少迷っても、機動力で軽く挽回できるだろうとの目論見である。

 未知の道に踏み込むのに、ほんのちょっとした勇気がいる。

 まぎれ込み、さらに奥深く突き進むことで、はじめてわかる。

 おなじ町なのに、はじめての道、はじめての町並が出現し、どの辺を走っているのか見当がつかなくなるのだ。

 へえ、こんなところに、こんなものがあったのか、と新たな発見もある。

 新鮮である。

 しかし、それも最初のうちだけだ。見知らぬ風景ばかりがつづくとちょっと焦ってくる。町・街を示す案内標識が見つかれば安心できるが、それまではいささか不安感がある。

 はじめての道に入るときは、時間的な余裕をもっていることが大切だ。

店も食べるものもいつも決まっている

 わたしは食に関しても保守的である。

 店に入っても(入る前から)、食べるものはいつも決まっている。うまいと思ったものをずっと食べつづけるのだ。それで問題ない。

 食べたことのないもの、新しいものに挑戦することはめったにない。未知のものを食べて、失敗するかもしれないと思うと、だめなのである。

 その点、うまいとわかっているものは安心である。

 それとおなじで、新しい店に入いることがなかなかできないのだ。

 わたしはラーメン専門店に一度も入ったことがない。

 淫するほどラーメンが好き、というわけじゃないので、ラーメンを食べたくなったら、ふつうの町中華に行く。そこのラーメンで十分なのだ。

 それに専門店はなにやら注文の仕方が複雑なようで、気おくれする部分もある。二郎系だの家系だの、まったくわからない。これはわたしが単に臆病なだけか。

 人はわたしに、あんたは新しい料理や新しい店を知らないことで、随分損をしているよ、というかもしれない。

 まあ、そうだろうと思う。だがそれでいいのである。損とは思わない。

 わたしには、もっとうまいものを求めようという意志がないのである。所詮、料理ではないかと思っている。わたしは普通のうまさだけで十分である。