大装飾画構想がスタート

クロード・モネ《睡蓮、柳の反映》1916-1919年頃 油彩/カンヴァス マルモッタン・モネ美術館、パリ © musée Marmottan Monet

 1909年にモネは睡蓮作品48点を展示する「睡蓮:水の風景連作」展を開催した。だがこの展覧会の後、モネはしばらく創作から離れてしまう。洪水による庭の荒廃に加え、1911年妻アリス・オシュデ死去、1914年長男ジャン死去と、相次ぐ不幸。さらに目の調子も思わしくなく、1912年には白内障と診断されている。

 だが、1914年頃、70代半ばを迎えていたモネは再び絵筆を手に取る。出来上がった作品は、縦2メートルに及ぶ大作。そこには言うまでもなく、睡蓮の池が描かれていた。

 モネの頭の中には夢と構想があった。睡蓮の池の水面を描いた巨大なカンヴァスで部屋の壁面を覆い尽くす大装飾画を手がけたい。やがて、その構想は実現した。パリ・オランジュリー美術館に設えられた「睡蓮の間」。楕円形の2つの部屋に、1部屋4点ずつ、合計8点の《睡蓮》がぐるりと一周飾られている。モネの世界を体感するこれ以上ない空間。モネの“聖地”と呼んでもいいだろう。

 本展ではオランジュリー美術館「睡蓮の間」をイメージした展示室を設置。部屋の形はもちろん楕円形。パリの現地を訪ねたことがある人は、思い出が鮮やかに蘇ってくるのでは。