子どもが、養育の難しい実親から離れて、別の場所で暮らす機会を提供する里親制度。この活動への理解が少しずつ広まってきている。
ただ里親とどんなに良好な関係を築けていたとしても、子どもは、育ててもらっているわけでもない実親に会いたがるという。
なぜ子どもは実親を求めるのか。里親と実親、それぞれの親から、どの程度影響を受けるのか。
行動遺伝学者である安藤寿康氏が「遺伝」がわれわれの人生に与える影響について解説したコンテンツ(電子書籍『子どもにとって親ガチャとは』(シンクロナス新書))より、ご紹介します。
里親の影響力とは
2022年の10月、私は「第67回全国里親大会・第68回関東甲信越静里親協議会 やまなし大会」に招かれ、「すべての能力・行動に遺伝の影響があり、遺伝的才能を生かす道がある」と題して基調講演を行いました。
里親をはじめ、血の繋がっていない親に育てられた子どもはその親からどの程度の影響を受けるのか、実際には育ててもらっていない実親と遺伝的にどういう関係があるのか、といったことについてある程度科学的に話ができるのは、今のところ私が専門としている行動遺伝学以外には見当たりません。
これをきっかけに、月2回ほど、児童養護施設に通うようになりました。親に育ててもらえない施設の子どもたちの生活というものをちゃんと見ておかなければいけないな、と思ったからです。もっとも、研究に行っているというよりも、子どもたちに遊ばれに行っているというのが正確なところでしょう。
里親と話していて、また、施設の子どもたちの話を聞いてよくわかるのは、血の繋がりにはやはりものすごく強いものがある、ということです。育ててもらっているわけではない実親との繋がりをいかんともし難く子どもは求めます。
例えば日本人というレベルで考えてみると、オリンピックをはじめとする特にスポーツ関係の国際大会などで国と国とが争うということになれば、やはり愛国心のようなものが表れます。
別に国を代表するような遺伝子があるわけではありません。しかし、同じ国民としての結束、つまり共に戦うという方向に惹かれていくということがあるのです。
それは、家ということを考えたときにも同様です。ただし、必ずしも昔からの血の繋がりということではありません。
ポイントは血ではなく、遺伝子です。科学的に見れば、メンデルの法則のひとつ「分離の法則」に従って、生殖細胞がつくられる際、親が持つ情報が伝わるのは最大でもその半分までとなります。
それにも関わらず、人はどうしても血の繋がり、血統というものに心惹かれてしまいます。それは自分がなぜこんな人間としてここに存在しているのか、その存在理由を知りたいということなのでしょう。人が歴史に関心をもつのと同じかもしれません。
里親とその子どもということを考えた時、本当に実の親だと思えるくらいに良好な関係が両者の間に築かれていたとしても、そこに正真正銘の実親が現れた場合、どうしてもそちらの方に心が向いていってしまうということがあります。現れた実親の人柄も何も知らないのに。問答無用でそちらに帰って行こうとするわけです。
施設の関係の方から聞いた話なのですが、社会的に問題のある親が、育てられないからというので子どもを児童養護施設に預けたのだそうです。子どもは施設の職員さんたちのもとできちんと育ってきていました。
ところが、その問題のある親が施設に姿を見せた途端、その子どもは「やっぱりお父さんのところに帰る」と言い出しました。そして実際に施設を出て帰っていってしまったのだそうです。
客観的に見れば、そのまま児童養護施設にいて育つ方がまっとうな生き方ができるはずでした。しかし、子どもにしてみれば、いくら問題があろうとも、その親の実の子どもであるというところにアイデンティティというものを求めていくようなのです。
このようなケースの場合、実親の元に帰ったらたぶんひどい人生になるということを子ども自身もわかっているのだと思います。それでも、子どもにとって、血の繋がった親の吸引力にはものすごいものがあるわけです。