出演者のギャラは公表すべき

 ほかにも変更したほうがいいと思える点がある。たとえばチャリティーマラソンである。マラソンは1992年の『愛は地球を救う15』から始まり、間寛平(75)が153キロ走った。マラソン自体は好企画で、本人の健康面のケアやサポートがあったら、問題はないと考える。人が走る姿は感動を呼ぶ。

 ただし、気温が一定以上に達したり、本人が少しでも辛そうだったりしたら、その時点で躊躇なく打ち切るというルールを確立すべき。距離の大幅な短縮も考えるべきだろう。たとえば日没後から夜明けまでの一定時間だけを走ることにしてもいいはずだ。

 昨年のランナーのヒロミ(59)の走行距離は102.3キロ。長すぎたように思う。ヒロミはもう若いとは言えない。万が一のことがあってからでは遅い。

 マラソンを含め、出演者のギャラや諸経費は公表すべきである。日テレ関係者によると、過去には社内にそんな意見もあったという。将来的には出演者は全員、ノーギャラにすべきだ。芸能界にも福祉に関心の高い人は数多いのだから、難しくないはずだ。

 ちなみに日テレ関係者に聞くと、番組に24時間拘束されるメイン級のギャラは300万円程度。マラソンのランナーはキャリアや知名度によって異なるが、上限が約500万円。高額である。

 一方で、ギャラが出るのが嫌で出演しない人もいるはず。ノーギャラでは出演しないという人は出なくたっていいだろう。チャリティ番組の出演者にギャラが出ないのは国際的常識だ。

「当初の『24時間テレビ』のほうが良かった」と言う人もいるが、そうだろうか。第1回では準キー局の中に募金の多寡を競っているような局があり、不快だった。

 募金が増えるたび、お笑い芸人が大騒ぎしていた。まるで募金額が多いと偉いようで、子供たちへの悪影響を懸念した。多くの募金を集めることも番組の第1目的ではないはずだ。

 また、以前は「障がいのある人はかわいそうな存在」として扱われる嫌いがあったため、NHK-Eテレの情報バラエティー「バリバラ(バリアフリー・バラエティーの略)」(木曜午後8時)から「感動ポルノ」と指摘された。2016年のことだ。しかし、最近は共生を前面に押し出しており、随分と変わった。

 一方で故・阿久悠さんが作詞を手掛け、都倉俊一氏(76)が作曲し、ピンク・レディーが歌った第1回のテーマソング「2001年愛の詩」は出色だった。「ようやく諸君は気がつきましたね 愛することが当たり前なら 愛という字がいらないことに」と、共生社会の実現を呼び掛けた。さすがは哲学者的でもあった阿久さんの詞だった。

『24時間テレビ』には欠点も数多い。しかし、そうであろうが、なくなってしまうより、ずっといい。民放からテレソン番組が消えるべきではない。続けるべきだ。