そもそも、なぜ「羽根」なのか?

 羽根募金には、このほか水難遺児を支援するための「水色の羽根」(公益社団法人・漁船海難遺児育英会)、児童養護施設の子どもたちを支援する「オレンジの羽根」(一般財団法人・日本児童養護施設財団)などがあります。

 役割を終えて、姿を消したものもあります。1959年9月に始まった「黒い羽根」募金で、炭鉱事故で死傷した家族を支援したり、石油へのエネルギー転換の中で失業した炭鉱労働者を支えたりする目的でした。発祥は筑豊炭田を抱えた福岡県。当時の県知事が本部長となり、1960年3月までの運動終了までに全国から募金約3800万円が寄せられたほか、うどん、粉ミルクなどの支援物資も届けられました。

「黒い羽根」の「黒」は、石炭が「黒いダイヤ」と呼ばれていたことにちなんだものです。募金の期間がちょうど「赤い羽根」共同募金と重なっていたことから、赤い羽根と区別し、炭鉱関係者の救済という使途を明確にする狙いで「黒い羽根」を選んだとされています。

 ところで、募金をした証に色の付いた羽根を渡すという習慣はなぜ生まれたのでしょうか。

 赤い羽根募金の中央共同募金会によると、共同募金は1913年に米国で始まった「Community Chest(地域の貯金箱)」が発祥。その米国ではかつて、先住民族がさまざまな色の羽根を頭などに着ける習慣を持っていました。赤い羽根は「勇者」や「善行」の証であり、そこから募金の証として「赤い羽根」を使うことになったと言われています。ただ、現在は世界43カ国に広がった共同募金でも赤い羽根を使うのは日本だけだそうです。