(英エコノミスト誌 2024年5月18日号)
米国の共和制が多数抱える脆弱性と、すぐには衰えない長所
どうしてこうなってしまったのか。
冷戦に勝利した後、米国モデルは鉄壁だと思われた。それから30年あまり経った今、米国人自身が米国モデルに自信を持てなくなっている。
無責任な戦争の開始、金融危機、制度の劣化が米国政治の獰猛さを解き放ち、大統領選挙に国の存在がかかっているかに見えるほどになった。
国民は、国の指導者たちが自国の民主主義の高潔さを罵倒するのを耳にし、同胞の市民が政権の移譲を阻もうとする様子を目にした。
これでは、米国の制度は世界中で盛り上がっている権威主義のうねりから自分たちを守ってくれるのか、そのような保護をどの程度保証してくれるのか、と米国民が不安に思うのも無理はない。
合衆国憲法だけでは国を守れない
その答えを言えば、もし米国民が首都ワシントンのポトマック川にカエサルのような人物が現れても合衆国憲法だけで共和制を守ることができると思っているとしたら、それは楽観的すぎる。
民主主義を維持できるか否かは今、これまでもずっとそうだったように、米国中の数え切れない人々、特に法律を書くことと守ることに携わる人々の勇気と信念次第だ。
本誌エコノミストが今週号の特集記事でも論じているように、憲法秩序は脆弱だ。
独裁者になりたい者は、憲法の条文を侮蔑することなくそのスタートを切ることができる。
憲法制定後に定められた法律によって、通り抜けるのに十分な大きさの穴が掘られているからだ。
建国間もない頃の米国は、国内で台頭する独裁者だけでなく、戦って倒したばかりの国をはじめとする強い敵国のことも不安に思っていた。
そのため議会は、危機の際に秩序を維持する国家緊急権を大統領に付与した。
1807年反乱法という法律では、国内で反乱が起きた時や連邦法が無視された時に大統領が陸軍や海軍を配備できる。
大統領がこの権限を実際に行使したことは過去に30回ある。
ストライキの鎮圧や人種隔離の打倒などがその目的で、直近では1992年のロサンゼルス暴動の際に発動されている。