アブドル・カーデル・ハーテム氏とのコネ
『虚飾の履歴書』には、小池氏の「不正入学」に手を貸したエジプト人の大物政治家の名前が出ている。同居女性は小池氏がエジプトの有力政治家だったアブドル・カーデル・ハーテム氏のコネでカイロ大学の2年生に編入したと証言している。
ハーテム氏は1917年アレキサンドリア生まれ。士官学校、カイロ大学、ロンドン大学を卒業し、ナセル中佐(当時)が主導した自由将校団の若手メンバーとして1952年のエジプト革命(王政打倒クーデターで、翌年共和制に移行)に参画した。
1957年に国民議会議員、大統領府副大臣、1959年にラジオ・テレビ担当国務相、1962年に文化相、国民指導・観光相、1971年に副首相兼文化・情報相となり、その後は長らく国民評議会(上院に相当)議長とエジプト・日本友好協会会長を務め、2015年に97歳で没した。
1974年2月(当時は文化情報担当副首相)には公賓として来日し、田中角栄首相、三木武夫副首相と会談し、宮中で天皇陛下に拝謁した。1982年には日本政府から勲一等旭日大綬章を授与されている。
1974年のハーテム氏の来日に際し、和田力駐エジプト大使は外務大臣に宛てた公電で「最近のエジプト政局の動きの結果、従来から実際上首相を代行して来たハーテム副首相の地位が一層強化されたことはる次(筆者注・たびたび)報告の通りであるが、副首相たる立場で今般6名の報道関係者を伴って日本を訪問することは、エジプトとしては全く異例であって、同副首相の国内政治勢力を如実に示すものであるし、また上記の通り同副首相がこの訪問を如何に重視しているかを示す証左でもある」と述べている。
2016年にカイロで出版されたハーテム氏のアラビア語の伝記『アブドル・カーデル・ハーテムの日記-10月戦争政府の首班』(著者はエジプト人ジャーナリストのイブラヒム・アブドル・アジーズ氏、邦訳未出版)には、「エジプトのための日本との友好」の箇所に、ハーテム氏は中曽根康弘氏と1954年以来親交があり、中曽根氏から友人の娘であるとして当時学生だった小池百合子氏を紹介され、面倒を見ていたこと、小池氏がハーテム氏をGod fatherとか心の父と呼んでいたこと、小池氏に毎月14エジプト・ポンドの小遣いをやっていたことなどが記されている(小池氏は『振り袖、ピラミッドを登る』の250ページに、エジプト政府から毎月12ポンドの奨学金を受けていたと書いている)。
一方、小池氏の著書『おんなの人脈づくり』(昭和60年刊)には、自分の父(小池勇二郎氏)が中曽根氏を昔から知っており、自分自身は小学生の頃くらいに中曽根氏と初めて会い、当時、毎年冬に中曽根氏から群馬の白ネギがどさっと送られてきて兄と食べたことが書かれている。
1973年10月6日、エジプト・シリア両軍が第3次中東戦争(1967年)でイスラエルに占領された領土の奪還を目指し、スエズ運河とゴラン高原に展開するイスラエル軍に攻撃を開始したことで、第4次中東戦争が勃発した。
エジプトを支援するOAPEC(アラブ石油輸出国機構)が原油価格を1.4倍に引き上げたため、第1次石油危機が発生。彼らに「非友好国」とされた日本は石油供給量削減措置を受け、経済危機に陥った。政府は三木武夫副首相、小坂善太郎元外相らをサウジアラビア、エジプト、アルジェリアに派遣し、日本を「友好国」に変えるよう訴えて歩いた(いわゆる「油乞い外交」)。