エジプト政府の中でカイロ大学を管轄しているのは高等教育・科学研究省で、小池氏が卒業したとしている1976年当時の大臣はエジプトの著名政治家であるムスタファ・カマル・ヘルミー(1976年3月から1978年10月まで高等教育・科学研究相)だった。ハーテム氏とヘルミー氏はともにサダト大統領の側近で、お互いに近い関係にあった。また当時の学長のスーフィー・アブ・ターリブ氏は1978年に国会議長となり、1981年にサダト大統領が暗殺された直後には臨時大統領代行を務めた人物で、やはりサダト大統領に近い人物である。こういうインナー・サークルが協力すれば、“不正卒業証書”を出すのは簡単である。

古代美術品や副葬品を海外要人に贈呈しまくったサダト大統領

 ナセル、サダト両大統領の政策立案に参画し、国民指導相、情報相などを歴任し、アラブの声と言われた全国紙『アル・アハラーム』の編集長も務めた著名作家ムハンマド・ヘイカル氏の著書『サダト暗殺』(1983年刊)には、サダト大統領がカイロ博物館や古代局の保管室から古代美術品や副葬品を大量に持ち出し、外国の政治家などにプレゼントし、莫大な国富を流出させたことが書かれている。

 ユーゴのチトー大統領に高さ47.5cmのホルス(天空と太陽の神で頭部は鷹)の像、ソ連のブレジネフ書記長に高さ22cmのイシス(エジプト神話の女神)と乳児ホルスの像、イラン王妃に宝石のネックレス、イランのシャー(国王)にトート(知恵の神でトキかヒヒの姿)の銅像、シャーの娘婿にオシリス(生産の神で王冠をかぶった男性)の像、ヘンリー・キッシンジャーにトートの像、ニクソン米大統領夫人に23個の金と17個の宝石のネックレス、ニクソン大統領に宝石を象嵌したイシスの銅像、ギリシャのオナシスに大理石の壺、ジスカールデスタン仏大統領に高さ34cmの木製のトート像(頭と足は銅製)、1975年のヨーロッパ、米国訪問の際には長さ65cmと57cmの宝石のネックレス2つ、木製のトート像(尾と足は銅製)20個をプレゼントして歩いた。

 さらにメキシコ大統領夫人には高さ23cmの木と銅製のトート像、フィリピンのマルコス大統領夫人には高さ41cmのトート像。1976年8月には高さ114cmの高価な像12個、オシリスの銅像とサッカラ出土の雄牛像を含む別の12個を古代局の保管室から持ち出し、同年11月には、イラン王妃にネフェルティティが所有していた長さ64cmの金のペンダント付きネックレスなどをプレゼントした。

 これらはすべて古美術品や副葬品で、『サダト暗殺』にはこれ以上の例が記されており、現在の金額に換算して数千億円は下らないと思われる。これに比べれば、カイロ大学の卒業証書の100枚や200枚くらい、どうといこともないだろう。

『サダト暗殺』の中で著者ヘイカル氏は「サダト大統領の晩年の数年間くらい大々的で、組織的規模で略奪がなされた例はない。腐敗はエジプト社会の最上層部から底辺にまで広がった」「彼の外国政治家やその他に対する気前のよさは、目立った。そしてこれは、一方通行ではなかったはずだ。つまりサダトは、贈物の送り手だったと同時に、貰い手でもあった」と述べている。

 そして、エジプト航空がボーイング社から707型機を6機買い付ける際に、875万ドルがスイスの匿名口座に支払われたこと、イラン製のバスやスペイン製の鉄鋼を高価な価格で政府が買い付けたので国会議員が議会で取り上げようとしたりしたが、沈黙させられたこと、カイロの電話網の全面的改修や輸入価格を下回る価格でのセメントの輸出問題、カイロの地下鉄や原子力発電所に関する契約などでも似たような腐敗臭がしていたこと、息子がサダト大統領の娘と結婚したオスマン・アフマド・オスマン氏が所有する大手建設会社アラブ・コントラクターズ社が公共工事で莫大な利益を吸い上げていたことなどを列挙している。