アファーマティブ・アクションだけでは社会全体としては不十分

 このような批判はあっても、出身家庭のSES、出身地域、性別による格差が存在する以上、現在はまだ小さい規模のアファーマティブ・アクションが文科省の後押しを受けてより広く行われるようになり、学生構成の多様化を達成する大学も出てくるかもしれない。

 実際に、東大を含む難関大は、学校推薦型選抜と総合型選抜などの手段で、第一世代(親非大卒)枠、地方枠、女性枠を設置・拡大することで、学生構成の多様化がある程度は可能なはずだ。ただ、そのような事例が増えても、社会全体として出身家庭のSES、出身地域、性別といった「生まれ」と結果が無関係になる公平性の達成には程遠いだろう。

 課題は主に2つある。

 まず、これらの枠で合格する人たちは、他の観点で恵まれている可能性が高いことにある。1つのカテゴリーでは「不利な層」でも、他の側面では有利な学生を集めることになり得るのである。

 実際、データを見る限り、特定のカテゴリーで不利でも実際に大卒となった層は他の条件が比較的有利だった(松岡2019)17。地方出身や女性という観点では不利でも親が専門職のような高SES家庭出身者であったり、第一世代を増やそうとして親非大卒枠を作っても東京圏出身の男性が多く合格したり、というケースは容易に想像できる。

 一つの観点で多様化しても他の観点では均質化することがあり得るのである18

 もっとも、この課題と向き合って、親非大卒、地方出身、女性という3つの不利な条件が揃った層に限定した枠を作るのも一案だが、そのような個人は絶対数が少ないので、大学間で不利な「生まれ」を持つ志願者の獲得競争になる。

 たとえば、都内の難関大が学生構成の多様化のために地方枠を増やしたとしよう。この枠で地方出身の女性が合格すれば、大学としては多様化のための基準2つに「貢献」する合格者を得たことになる。

 ここで考えたいのは、この地方出身の女性の進路がどう変わったかである。難関大が求める一定の学力基準を満たすような地方出身の女性の大半は、地元の国立大に進学していた可能性が高い。

 これでは都内の難関大は多様化を達成できても、地方の国立大は地元出身の女性を失うことになる。「多様性」の名の下に、限られた「不利な条件」という人材の奪い合いになっていて、社会全体として改善しているわけではない。これが課題の2点目だ。

17 「教育格差(ちくま新書)」の第1章を参照。
18 同様に、留学生を多く受け入れると一見多様だが、出身家庭は高SES層に偏っているという意味で均質的な可能性がある。