私が注目しているのは、首都圏に藩校以来の伝統校が存在しないことだ。明治維新は西国雄藩による江戸幕府の打倒だった。本来なら大阪など西国に首都を置きたかっただろうが、新政府に資金がなく、また鳥羽伏見の戦いのあと、大坂城が焼け落ちたなどの偶然が重なり、東京が首都となった。

 敵地の真ん中に拠点を置いた新政府は恐怖におののいたはずだ。神奈川の中心は小田原から横浜、埼玉県は川越、忍(現行田)から浦和、千葉県の中心は佐倉から千葉へと移し、各藩の藩校を潰した。代わりに明治政府が設けたのが、東京府立第一中学(現日比谷高校)、千葉中学(現千葉県立千葉高校)、浦和中学(現埼玉県立浦和高校)などだ。その目的は、国家、つまり明治政府に有為な人材を育成することだ。このような学校の卒業生の多くが官僚を志向し、それなりの成功を収めているのは、歴史が関係しているのだろう。

 教育機関の「成長」には時間がかかる。何世代にもわたる先輩たちの成功や失敗を、後輩たちが引き継ぐことで、ノウハウを蓄積していくからだ。私は、藤島高校、福岡高校、松山東高校など藩校の流れを汲む高校から、ノーベル賞の受賞者がでているのは、このような歴史に負うと考えている。それぞれが独自の価値観を熟成し、その独自性が国際的に通用する人材を育成している。

 藩校由来の教育の伝統が途絶した関東で、中等教育を支えたのは前出の旧制一中の後継機関と私立・国立高校だ。1982年以降、東大合格者数ランキングで開成高校が1位を独占しているし、2023年の東大入試では、上位10校のうち、7校が首都圏の私立・国立の高校だ。残りは灘高(私立、兵庫)、西大和学園(私立、奈良)と、旧制一中である日比谷高校(東京)だけだ。

 意外かもしれないが、首都圏の私立・国立高校からはノーベル賞受賞者はでていない。全国に拡大しても、私立・国立の進学校から受賞したのは灘高を卒業した野依と大阪教育大附属高校天王寺校舎(国立、大阪)を卒業した山中だけだ。灘高が日比谷高校を抜いて、東大合格者数のトップとなったのは1968年だ。当時の受験生は現在すでに70代半ばとなっており、ノーベル賞の「適齢期」だ。以上の事実は、有名私立・国立高校の卒業生たちが、最先端の科学研究の世界で十分な実績を挙げることができていないことを意味する。

 一方、東京大学をリードするのは、このような学校の卒業生たちだ。藤井輝夫総長は麻布高校(私立、東京)卒だし、前任の五神真は武蔵高校(私立、東京)、前々任の濱田純一は灘高だ。

 医学部も同様だ。南學正臣医学部長は麻布高校、田中栄附属病院長は灘高出身だ。また、日本医学会長の門脇孝は東京教育大附属駒場高校(国立、東京、現筑波大附属駒場高校)卒だ。

 余談だが、京都大学の状況は若干、異なる。現在の湊長博総長は富山県立高岡高校、前任の山極壽一は都立国立高校の卒業生だ。

 以上の事実から、有名私立・国立高校から東京大学へと進んだ人は国内では通用するが、世界での評価はイマイチということになる。

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