(高世 仁:ジャーナリスト)
ウクライナのダムを徹底破壊
ウクライナ東部のドネツク州から北部のハルキウ州にかけて、ウクライナ軍がロシア軍から奪還した地域が広がっている。そこには、ロシアの占領がもたらした大きな負の遺産と今後の復興に向けての課題が遺されていた。
ドネツ川は、ウクライナで4番目に長く、東部では最長の川である。軍事的に川は防衛線として機能することが多く、今回の戦争でも、この川をめぐって激戦が展開された。
ドネツ川の支流にあるオスキルダムは、洪水調整、電力供給と漁業支援を目的に1958年に建設され、南北長125km、最大幅4km、面積130km2の貯水池をもつ。
10月下旬、そこを訪れた私が見たのは、上部の構造物から水門にいたる徹底した破壊のあとだった。発電施設も壊され、いまだに周辺住民への電力供給が滞っているという。
ダムは緒戦からロシアの攻撃対象だった。ロシア侵攻の2日後の昨年2月26日、ロシア軍はキーウダムをミサイル攻撃したが、ウクライナ軍が迎撃に成功して被害は免れた。