ハマス・イスラエル紛争が泥沼化する中、攻撃の手を緩めないイスラエルへの反発が高まっています。そんな中、ネット上では、ヨーロッパのユダヤ人は古代ユダヤ人とは連続性がない「トルコ系ハザール人の末裔」とする言説も見受けられます。この説については、2023年夏にパレスチナ自治政府のアッバス大統領(議長)が言及し、物議を醸すといったこともありました。では、「ハザール人」とはどういう人たちなのか、その説の真偽や出所などを解説します。
(宇山 卓栄:著作家)
「ユダヤ人はハザール人」説とは何か?
最近、50年ほど前に流行った「ユダヤ人はハザール人」説がネットなどで流布されています。この説は、ヨーロッパのユダヤ人は古代ユダヤ人としてのセム系の民族起源を持たず、実はハザール人の末裔であるとするものです。
「ユダヤ人はハザール人」説によると、ヨーロッパで迫害を受けたアシュケナジムなどのユダヤ人たちはかつてパレスチナにいた古代ユダヤ人との連続性やつながりを持たず、古代ユダヤ人とは別の民族になったとされます。直接には、ハザール王国のハザール人の末裔とされるのです。
ハザール王国は7世紀から10世紀に、黒海北部からコーカサス地域にかけ、栄えた遊牧民族のテュルク系国家とされます。ユダヤ教を事実上の国教としたハザール王国の改宗ユダヤ人がヨーロッパのユダヤ人となったとするのが「ユダヤ人はハザール人」説です。
この説に依拠すると、ハザール人たる「偽ユダヤ人」がシオニズム運動を推進する正統性はなく、イスラエル国家建設への歴史的権利もないということになります。そのため、反シオニズムや反イスラエル主義者によって利用されました。
遺伝子解析からは否定
しかし、この説は今日の遺伝子解析からも、否定されています。ハザール王国の支配者層はテュルク(トルコ)系民族と推測されています。支配者層が9世紀頃に、キリスト教でもイスラム教でもない第3の道として、ユダヤ教に改宗しました。
ハザール王国のテュルク系民族はもともと突厥民族であったとされます。彼らはアルメニア方面からやって来たとの史書の記述もあり、中央アジアを通って、カスピ海の南岸から北上してきた可能性があります。965年、キエフ・ルーシ(今日のウクライナ)に滅ぼされます。
ハザール王国滅亡後に、王国にいたユダヤ教徒たちがキエフ・ルーシやモンゴルに追われ、東ヨーロッパへと移動し、アシュケナジム系ユダヤ人になったと「ユダヤ人はハザール人」説では、唱えられます。