前編〈江戸時代から中国人を魅了してきた三陸のアワビ〉からの続き

いよいよ三陸のアワビの復活に動き出す

 筆者の手元には水上助三郎の功績を後世に残したいとの思いから刊行された『水上助三郎伝』がある。20年ほど前に吉浜鮑のことを取材しに吉浜へ行った際、地元漁協の古参の理事から「三陸にもこんな面白い男がいたんだよ」と譲り受けたのだ。

>>干鮑の加工の様子と香港で売られている「吉浜鮑」

 東京にあった大日本水産会が資料を基にまとめ、昭和36年11月に発行したもので、416ページにも及ぶ貴重な資料だ。オットセイの猟について年度別に詳しく書かれていたり、海賊に襲われて戦った経緯が記録されていたり、嵐で難破しそうになったエピソードが紹介されていたりと盛りだくさんの内容である。その中には吉浜鮑を復活させようとした助三郎の苦労も記されている。資料を基に、当時の様子を再現してみたい。

水上助三郎(『水上助三郎伝』より)水上助三郎(『水上助三郎伝』より)

「みなさん、ここの責任者の水上助三郎と申します。よろしくお願いいたします。今度オラは干しアワビ、干鮑を製造することにいたしました。なあんだ、といいたいような顔が見えますが、江戸時代から作られている干鮑の歴史は乱獲によってほとんど途絶えています。

 いくら三陸の鮑の質が良いとしても、小さすぎる鮑では良質な干鮑を製造することは不可能です。私は江戸時代以上の品質の干鮑を製造し、もともと鮑の王国だった三陸の復活を目指しています。そのためには皆さんのお力が必要です。詳しくは各係員が説明しますので、分らないことは遠慮しないで質問をしてください。

 従業員の質が良くなければ良い品質の干鮑は完成できません。三陸の興隆はこれにかかっているという意識を持っていただきたいのです。こうして皆さまのお顔を見ていまして優秀な方々が集まってくださったと安堵しました。重ねがさね宜しくお願いします」