和製ブルースと和製ブギウギの誕生

 実際の笠置と淡谷は、どちらも長い付けまつげがトレードマークでしたが、舞台での歌唱法は対照的で、裏声を使ってせつなく静かに「ブルース」を歌い上げる淡谷、一方、大きな声を張り上げ踊りながら「ブギウギ」を歌いまくる笠置。

 戦時中、大陸の兵隊たちに圧倒的に支持された淡谷、戦後の貧しい時代に明るい笑顔で多くの人を元気づけた笠置。

 対照的ではありながら、混迷の時代に生きる人たちにひとときの安らぎや喜びを与えてくれたことは二人に共通しています。ここに、服部良一という昭和を代表する作曲家の真骨頂を見ることができます。

 ブルースとブギウギ、静と動の大衆歌謡を見事に洋楽後進曲の日本に根付かせてくれたのです。

 ただし、ここで誤解は禁物です。服部が日本に根付かせたブルースとブギウギとは、1930年代に米国で誕生した本来のブルースやブギウギとは異なる、日本の歌謡曲を下地にした似て非なる和製ブルースとブギウギでした。

 日本仕様のブルースとブギウギには、ブルースコードも使わなければブギウギ特有の「ドミソラシ(♭)ラソミ」という伴奏もあまり使われていません。

 服部は気づいていました。当時の日本人には直輸入の音楽をそのまま歌謡曲にして提供するよりも、短調の哀愁あふれるメロディーに仕上げたほうが好まれることを。

 服部が日本に定着させたこの「ブルース」とは日本独自のもの、つまり歌謡曲であって、本来の米国産ブルースが秘めている歌の本質から悲哀の感情を抽出して、女性が歌う悲恋のムードに重ねたものでした。

 ブギウギのほうは喜びの思いをエイトビートのリズムに乗せて(厳密にいうと、ブギウギ本来のリズムとは異なりますが)、明るく華やかに歌い踊らせるという目論見を優先させて創作、終戦直後のすさんだ空気を吹き払う役割を果たしてくれました。

ブルース、ブギウギ本来の源流とR&R

 ブルースとブギウギの源流は、どちらも黒人差別の色濃く残っていた時代に、彼らの心の中の悲しみや喜びが音となり声となって発せられたものでした。

 黒人霊歌などの要素も取り入れ、ブルースコードと称される繰り返しのパターンに歌詞を挿入、やがてそれはジャズと結びつき、白人たちにも浸透していきます。

 戦前、服部が耳に沁みつくほどに聴いていた洋盤レコードから流れる曲も、そうした経緯で生まれたものでした。

 第二次大戦終結後、黄金時代を迎えた米国では1950年代半ばに黒人のリズム&ブルース(R&B)を歌うエルヴィス・プレスリーが登場、エルヴィスを追いかけたバディ・ホリーが自ら歌を作りエレキギターをフィーチャーしたバンドスタイル「クリケッツ(コオロギと球技のダブルミーニング)」を誕生させます。

 この二人に夢中になったジョン・レノンがビートルズとして踏襲し、白人たちが歌うR&B、R&R(ロックンロール)として世界中を席巻、という歴史が作られていくことになります。

(参考)『ぼくの音楽人生』(服部良一著、日本文芸社)
『評伝 服部良一 日本ジャズ&ポップス史』(菊池清麿著、彩流社)

(編集協力:春燈社 小西眞由美)